第7章 参考資料

T.主要米軍犯罪事例

1.尹今伊氏殺害時件

編集者 注)写真公開いかんに対して多くの苦悩がありました。万が一でも故人と遺族 に累が及ぶか心配もしました。しかし、米軍犯罪の実相を正確に知らせる ために写真を載せることにしました。故人の冥福を祈りながら読者のみな さまの理解を求めます。

 韓国の防衛のために(?)駐屯するという米軍兵士ケネス・マイケル二等兵(当時20歳)は、尹今伊氏(当時26歳)の頭をコーラ瓶で乱打し、血を流して死んでいく女性の子宮にコーラ瓶を差し込み、肛門に傘の柄を差し込んだ。その上、証拠を無くすために全身に白い洗剤の粉をまき、最後の儀式なのか尹氏の口にマッチ棒をくわえさせた。

 この事件は、全国的にものすごい波紋を巻き起こした。連日、抗議デモが継続され、国民の拘束捜査要求が激しかった。

 しかし、犯人はついに拘束されず、最高裁判所の最終刑である懲役15年が確定された後、95年5月17日になって初めて身柄が韓国側に引き渡された。彼は今、天安少年矯導所(刑務所)に収監されている。しかし、韓米行政協定第22条には、大韓民国の裁判所が宣告した拘禁刑に服役している場合でも、米国が要請すれば韓国政府はこの要請に対し好意的配慮をするようになっており、マイケル二等兵が米国に送還される可能性を全く排除することができない状態である。

 尹氏の殺害時件を担当した議政府警察署の捜査班長は、事件現場を初めて目撃した瞬間、「米軍犯罪」であることを直感したと、ある言論社とのインタビューでぶちまけた。何が彼をしてそのような確信を持たせるようにしたのか? 米軍犯罪は、いつもそうであるように残酷で想像を超えたものだからである。

 生命を懐妊する女性の子宮にコーラ瓶とは! それは明らかに一つの象徴だった。外勢によって踏みにじられ、蹂躙されるわが祖国の現実、まさにそのことを象徴するものであった。

2.金菊恵氏強姦致傷事件

 1993年5月29日、ソウル、端草洞「レーベンホープ」の女主人金菊恵氏(53)が、サーロイ・ジョン・ロジャー兵長(26)に強姦と殴打を受け、脳死状態に陥る事件が発生した。

 事件現場で被害者金氏が、パンティーとパンティーストッキングが脱げたまま発見されるなど、諸状況から見て「強姦致傷」であることは明らかであった。しかし、韓国警察と検察は、この事件を単純な暴行事件として起訴した。特に、事件を担当した端草警察署の蔡ハクシク刑事など3名の捜査チームは、強姦を立証できる決定的な証拠である被害者の膣分泌物に対する精液反応を検査せず、証拠を隠滅させた。被害者自身が強姦を受けたと陳述しても検察はこれを受け入れず、引き続き裁判を強行した。

 強姦に対する物議は、裁判過程でも大きな問題となり、1審裁判部は、「暴行罪を適用するが、性暴行の情状を勘案し懲役10年に処す」と判決し、2審裁判部は「強姦に対する心証は充分だが、物証がなく原審を破棄して暴行罪で懲役2年6ヶ月に処する」と判示した。結局、韓国警察の故意または過失で決定的な証拠が隠滅され、犯行米軍が余りにも軽い処罰を受けることになり、これは損害賠償にも作用して、3,900万ウォンの倍賞を受けるにとどまった。(被害者の治療費だけで2,000万ウォンを超え、被害者は脳を痛めて一生障害を持って暮らさなければならない状況だ。)

 駐韓米軍犯罪根絶のための運動本部では、蔡ハクシクら担当警察3名を職務遺棄、虚疑公文書作成などの嫌疑で告発したが、警察は蔡ハクシク刑事に対してのみ「虚疑公文書作成」などの嫌疑を認めた。それさえ「その間、警察としての功労が認められる」として不起訴処分にした。

 一方、犯人のロジャー兵長は、95年1月頃、刑が確定され天安少年矯導所に収監されたが、95年8月15日、金泳三政府の8・15特赦で釈放された。

3.韓昌烈氏被襲事件(タクシー強盗及び殺人未遂)

 1993年12月16日零時15分頃、韓昌烈氏がタクシーを運転していたところ、エドワード米軍部隊正門前で米軍2名が乗車したが、ブリアンはタクシーの前座席に、リチャードは後部座席に座った。

 乗車後、米兵達は自分達だけで英語で言葉をやりとりし、後部座席のリチャードが刃物で突き立て、前座席のブリアンがハンドルをつかんで車を止めた後、金を奪って逃げることを約束し、2qぐらい運行したところ、後部座席に座っていたリチャードがいきなり刃物で被害者の首を刺した。この瞬間、刃物で刺された被害者が、首に突き刺さった刃物をとって声をあげ車を停止させるや、米兵達はドアを開けて逃走した。

 一方、被害者は、通りがかりのタクシー運転手の助けでクムチョン邑ソウル整形外科病院に護送され手術を受けた。被害者が首を刃物で刺された傷は幅4p、深さ9.5pであり、4番目の頸骨が折れ、脊椎部の神経が部分破裂するなど重傷を負った。

 韓昌烈氏は、国立医療院で労働力喪失率70%の傷害診断を受け、一生を障害者の体で生きなければならない状況だ。韓昌烈氏は94年1月、国家賠償審議会に賠償申請をしたが、95年9月現在まで倍賞を受けられないでいる。

4.李ウンギョン氏轢き逃げ事件

 1994年3月30日午後1時頃、坡州郡坡州駅横断歩道上で、李ウンギョン氏が、米兵運転の車両に轢き逃げ交通事故に遭う事件が発生した。

 被害者は、タクシーに乗って坡州駅前で下車し、待機中であった汽車に乗るため、横断歩道で青信号に変わるのを見て、走っていたところを米軍車両に轢かれた。

 当時、米軍車両は制限速度70qである道路で100qのスピードで事故を起こし、被害者を轢いた後そのまま走り去った。逃走した米兵は、被害者を降ろしたタクシー運転手朴クァンジン氏(ウジンタクシー京畿1車3402)と、通り過がかりのボンゴ車運転手が、周囲の市民に「捕まえろ」と声を張り上げ、市民達の追撃で30b程逃走したところで捕まえられた。

 李ウンギョン氏は、事故にあって坡州郡クムチョン邑聖母神経外科に移されて治療を受け、全治12週間以上の診断を受けた。被害者は、左側足首のくるぶしが2カ所ひどく折れ、左側のふくろはぎの骨にヒビが入り、頭が裂けて4針縫い、治療が終わった後にも後遺症が予想されるという。

 公務中であったウィリアム二兵は、何の処罰も受けずに除隊後本国に帰った。 李ウンギョン氏は、駐韓米軍犯罪根絶のための運動本部、韓米行政協定改正委員会委員であるチャン・ジュヨン弁護士に、国を相手取った訴訟を委任し、2,800万ウォンの賠償金を受けた。

5.米軍憲兵隊の韓国人三母娘監禁暴行事件

 1994年10月25日、ソウル、漢南洞漢南ビレッジ(外人アパート)で、韓国人の三母娘が米軍憲兵隊によって5時間の間、不法監禁捜査を受け暴行にあった。

 米兵と国際結婚した娘薜銀河(40)氏が住んでいる外人住宅を、末娘の薜銀洙(30)氏と共に訪問した金グンスン(68)氏は、老患で苦労している夫の世話のために外人住宅正門を出たところ、「米軍物品販売商」という濡れ衣を着せられ米兵達に連行された。当時、金グンスン氏は、老患を患っている父親に食べさせてくれと、薜銀河氏がくれたもち米と牛肉を持っていたが、米兵はこれを口実に連行したのであった。

 これに抗議した二人の娘は、グリム中尉ら米憲兵4名によって暴行され、強制的に手錠を掛けられたまま、金グンスン氏と共に5時間の強制拘禁、調査を受けた。そして、三人母娘の嫌疑がはれるや、連行5時間ぶりに韓国警察に引き渡された。それも被害者達が自分達に暴行し、公務執行を妨害したという罪をおっかぶせたまま。

 余りにも憤懣やるかたない三母娘は、事件の翌日、龍山警察署に米軍4名に対する告訴状を提出した。この事件を担当した金ヨンチョル検事(ソウル地方検察庁)は、この事件を米軍の公務執行を逸脱した犯罪と規定、事件に対する基礎調査をするために94年10月末、米兵達に対する召還状を発付したが、米軍当局は「正当な公務執行」であると主張して引き続き対抗し、結局、犯人に対する司法処理はほど遠い状態だ。

6.タクシー運転手、ユ・ヨンシク氏暴行事件

 1995年2月13日午前1時40分頃、梨泰院で米兵2名(黒人米兵男子と女子)を乗せて米8軍5号正門に向かったタクシー運転手ユ・ヨンシク氏は、加害米兵フランジソに理由もなく暴行を受けた。

 地下鉄工事で激しく渋滞する梨泰院で米兵達が乗車したが、男は運転手の横に座り、女は後部座席に乗った。米8軍基地前まで来て、横の席のフランジソは「ハウ・マッチ?」と尋ねた。英語を知らないユ氏は、指で5千ウォンを示しながら応えた。米軍は10jを出しながら4jくれと注文した。ドル計算に不慣れなユ氏は、2jを紙幣で差し出して米国のコイン24個を出した。ユ氏は、コイン24個程度が2jになるだろうと思っていた。加害米兵は、後部座席に乗せた女性に降りろと言った後、タクシーのドアをこっそりと開いて、いきなりユ氏の右目のあたりを拳で殴った後逃げだした。

 料金問題でいさかいがあったのでもなく、突然みまわれたことなので、ユ氏は目の縁が裂けて片方の目が見えない状態で、どくどくと流れる血を手で押さえていた。

 犯人のフランジソは、道を渡ってジャキニーホテルの方に逃げ、これを見守っていた同僚の運転手達が米兵の後を追いかけて捕まえた。被害者ユ氏は、近くの龍山病院に行って全治3週間の診断を受け、眼下の診断では全治2週間という状態だ。ユ氏は、治療費の名目で88万ウォンを受け取って暴行米兵と合意し、犯人は何の処罰も受けなかった。

7.忠武路地下鉄駅乱動事件

 95年5月19日夜11頃、ひどく酒に酔ったコリナ兵長(31)ら米兵と家族13名が、3号線電車に乗るやいなや、車内で大声で歌を歌うなどの騒ぎを起こし、抗議する市民達にボクシングをするかのように顔に拳をあててからかい、市民の顔に中指を突きつけてひどく野卑な表現で罵った。その上、米兵達は電車に乗ろうとする40代の女性のお尻を触るセクハラまでためらわなかった。

 これを見て憤怒したチョ・チョングク(28)氏は、米兵達に強く抗議した。ところが米兵達は、忠武路駅でチョ氏についてどかどかと降り、チョ氏を引き倒して脇腹と顔を5分余り蹴りつけた。結局、チョ氏は病院に運ばれて行った。

 現場を目撃した市民達に囲まれ米兵達は、地下鉄捜査隊に引っ張られて行ったが、その場所で米軍達は、あたかも遊びにでも来たかのように、互いに写真を撮ったり所かまわず小便をし、警察にも拳を振り上げるなどの傍若無人の狼狽を続けた。全過程を見守った市民50余名は、明け方3時まで地下鉄捜査隊、中部警察署など、米兵達の移動について行き篭城と抗議を続け、米兵達の厳重処罰を要求した。

 しかし米兵達は、韓国警察の尋問を拒否して引き続き黙秘権を行使し、すぐ続いて到着した米軍憲兵隊に引き渡された。韓国警察は、米兵達を米軍憲兵に引き渡すこと以外に何もすることが出来なかった。不平等な韓米行政協定のためであった。

 この事件は、米兵達が犯行一切を否認し、米軍当局が「米兵達が被害者」と主張する中で、韓国政府は暴行に加担した5名中コリナ兵長のみ正式に不拘束起訴し、残りは皆50〜150万ウォンの罰金刑で略式起訴し、韓国の裁判所は彼らの有罪を宣告した。

8.チョ・キドク氏暴行事件

 95年7月4日午後9時40分頃、チョ・キドク氏と友人が乗用車で東豆川市ポサン洞ニューコリア前を通り過ぎようとした時、酒に酔った米兵3名が酒瓶を持ってその場にさしかかり、チョ氏の乗用車のバックミラーを拳で壊した。

 チョ氏の友人が車から降り、米兵達に何故バックミラーを壊すのかと抗議するや、米兵が友人を殴り気絶させた。これを見たチョ・キドク氏が、米兵達に抗議すると、今度はチョ氏を米兵3名が顔、胸などを殴り、チョ氏もすぐに気絶して米兵達は逃げた。この時、チョ氏の友人が意識を取り戻し、逃げる米兵の内1名を捕まえ、トンヨン派出所に申告した。東豆川世光外科に入院したチョ・キドク氏は、右側の頬骨が全部砕けるなど全治6週間の診断を受け、友人は全治2週間の診断を受けた。7月6日、東豆川米軍犯罪申告センターからこの事件を受け付けた運動本部は、チョ・キドク氏を訪問して事件の経緯を調査した。また、被害者達の陳述と警察の調査内容を確認し、被害者達に損害賠償申請に関する援助を行った。

 一方、米軍当局では、犯行米兵を保護するために被害者側に合意を要請したが、その金額は100万ウォンであった。これは治療費にも遠く及ばない金額で、このような提案を受けたチョ・キドク氏は、憤りが爆発し、運動本部と合意して米軍当局の合意要請を拒否して正式に国家賠償を請求した。

9.元クンジャ氏強盗被襲事件

 95年7月7日午前8時30分、東豆川市ポサン洞で元クンジャ(57)氏が経営するカンビョン商会で、南米系米兵1名が20jを出して飲料水を一つ買った。釣り銭を渡そうとした元氏は、腹帯の財布からおつりをドルで出してやったところ、米兵は再びウォン貨でつりをくれと要求した。

 元氏は、再びウォン貨を出してつり銭を渡してやった。当時、元氏の店では元氏の家族は全部出勤していて元氏一人で店を見ていたところだった。元氏は、腹帯に1万ウォン札と千ウォン札を合わせて57万ウォン程を持っていて、他の財布には400jを持っていた。

 ウォン貨とドルのつり銭を代わり替わりに要求した米兵は、元氏の財布に金があると知ったのた。そうして再び午前9時20分頃、その米兵が店に入りあちこちをくまなく見て、40分間店に座っていた。元氏は何回か帰れと言ったが、米兵はあちこちながめ回して座っていたが、店を去った。

 その後、午後3時40分頃、小さな鞄一つと黒のビニールに包んだ煉瓦を持って米兵が再び店に入って来た。元氏は、近所にヴィデオ店があるので黒いテープに包んだ物がヴィデオテープだろうと考えたという。うろついていた米兵が店に入って来て水をくれと言うと、元氏は店の横にある台所に行ってコップを探していたが、突然、米兵が黒のビニールに包んだ石で元氏の後頭部を打ちおろし、元氏はしばらく気絶した。余りに驚いた元氏は、無意識のうちに部屋の方に逃げたが、追ってきた米兵が石で元氏の顔と右顎の下を石で打ちつけ、元氏は血を流して倒れた。米兵は、元氏の二つの財布を裂いてウォン貨とドルを盗んで逃げた。

 元氏の向かいの家の住民の証言によれば、店の前で見張っていた米兵と共に店を出てきた米兵が逃げたという。住民達の助けで元氏は現代聖心病院に移され、顔を縫って全治8週間の診断を受けた。元氏は、近所の店の住民達が米兵達に金を奪われるケースが多かったが、米兵達を捕まえることができず申告も放棄した事例が多いと憤怒をぶちまけた。元氏は米軍の顔が細長く顎がとがり、目は小さいが、背は中背であったと比較的正確に印象を記憶していた。CIDに勤務する許ピル通訳官は、95年4月にあった光岩洞の闇ドル商の老婆殺害事件の犯人と元氏の犯人が同一犯と見て調査すると明らかにした。

10.命を掛けた篭城の果てに勝利した李ヨンジク氏

 94年10月17日明け方、李氏は仕事を終えて夫人と共に家に帰ろうとして、東豆川市ポサン洞の四辻の横断歩道で、米兵5名から集団暴行を受け脊椎をひどく痛めた。当時、米兵達が夫人のお尻をさわるなどセクハラをしたので、これに抗議したところ暴行されたのだ。

 ところが李氏は、すぐに治療を受けれなかった。賠償がなされる時まで被害者が自費で治療費を負担しなければならないが、経済的余力が無かったためである。手術費を準備できなかった李氏は、6カ月も経ってから手術を受けた。しかし、彼に残ったのは山のような借金と40%障害判定という働けなくなった体だけであった。李氏を暴行した米兵は、1審で懲役

 李氏は94年11月、米軍当局に1億4千余万ウォンの賠償申請をしたが、米軍側は95年10月、治療費はおろか薬代にもならない賠償金221万ウォンを持っていけという通報を送ってきた。何故、賠償金の金額がそのように策定されたのか、何の根拠も説明も無かった。また、この金額は、韓国法務部の8千100万ウォンの賠償判定もはなから無視したものであった。李氏がこの金を受け取ることを拒否するや、米軍は再び95年12月1日、受領人(被害者李氏)が金を受け取ることを拒否して賠償金が米財務省に帰属されたという内容の通知書を送ってきた。

 我慢できなかった李氏は、市内のど真ん中にテントを張って13日も篭城した。東豆川民主市民会の支援と住民達の呼応で事案が拡大され、世論が米国側に不利に帰するや96年1月12日、米軍当局は韓国法務部の算定基準を考慮して賠償金を再び決定すると李氏に通報した。

李ヨンジク氏は、一旦テント籠城を解いたが、米軍側の思い通りに賠償額を定めることができる現行韓米行政協定の民事請求権条項が存在する限り、第2の李ヨンジクはいつでも生まれる。

U.米軍犯罪統計

 駐韓米軍犯罪現況資料(1967年韓米行政協定締結以後、駐韓米軍犯罪処理結果)

V.駐韓米軍犯罪根絶のための運動本部紹介

 駐韓米軍は、1945年以来約50年の間、南韓に駐屯しており、現在、全国100余 個の基地(面積:約9千万坪)に約3万7千名の兵力が駐屯している。

 駐韓米軍は、南韓の防衛のためという名分で、年間30億jに達する韓国政府の防衛分担金をはじめとして数多くの特恵を享有しています。

 駐韓米軍は、永い駐屯の歴史と規模に見合ってわが国の社会に多くの影響を及ぼしていますが、特に1日平均5件に達する米軍犯罪によって10万名以上の韓国人が夥しい苦痛と犠牲を経験しています。しかし、わずか0.7%のみが韓国法廷に立たされ、大部分はほとんど処罰されずにおり、被害者は損害賠償を思うように受けられないでいます。のみならず、駐韓米軍による韓国人達の被害は、環境汚染、低質退廃文化、PX不法流通、AIDS、麻薬、混血児問題、米軍基地による地域発展の阻害など、社会全般にわたって広範囲に現れています。

 駐韓米軍の犯罪と各種弊害を無くしていくことは、単に被害当事者達のためだけではなく、韓国民の人権と韓民族の自主権のためにこれ以上引き延ばすことのできない民族的課題です。

 駐韓米軍によって約50年の間、無防備に損なわれてきた民族自尊を回復するための小さな第一歩が、まさに「駐韓米軍犯罪根絶のための運動本部」です。

1.設立背景

 1992年、尹今伊氏殺害時件を契機に、各界各層の団体で構成された「駐韓米軍の尹今伊氏殺害事件共同体策委員会」は、10ヶ月にわたった活動過程で、米軍犯罪を根絶し、不平等な韓米行政協定を改正して平等な韓米関係を築くためには、常設的な組織が必要であるという結論を下し、共同体策委員会を発展的に解体して、宗教、女性、人権、労働、社会、学生など、各界各層の26団体が参与した中で、1993年10月26日に発足しました。

2.目的

 本運動本部は、駐韓米軍の各種犯罪と弊害を調査研究して、これの根絶のための対策を準備し、韓米行政協定など不平等な韓米間の制度を改善して、この地に真の民族自主権が確立できるようにすることを目的とします。

3.事業

1)米軍犯罪申告センター運営

 1994年4月1日、ソウル、東豆川、平澤、大邱、釜山など全国10カ所の米軍駐屯地域に米軍犯罪申告センターを設置し、米軍犯罪被害者達に対する相談、法律救助などの各種支援活動を繰り広げています。現在まで、総200余件の事件を受け付けて各種支援をしています。

2)米軍犯罪根絶対策準備

 1945年、米軍駐屯以後発生した10万件を上回る米軍犯罪実態を調査して、米軍犯罪根絶のための対策を準備します。

3)米軍基地実態調査

 米軍基地から派生される環境汚染、PX闇取引、低質文化など、各種弊害を調査するための米軍基地実態調査を実施して、克服法案を準備します。

4)米軍基地取り戻し運動

 龍山米軍基地をはじめとして、全国96カ所に達する米軍基地に対し、韓国の権利を回復して米軍基地取り戻し、米軍基地賃貸料徴収、米軍基地縮小統廃合などの活動を繰り広げます。

5)韓米行政協定全面改正運動

 不平等な韓米行政協定に対する改正案を準備して、国会、政府に誓願をし、改正のための各種活動を繰り広げます。

6)女性人権保護

 駐韓米軍による最も大きな被害者である基地村の女性、米軍と国際結婚した女性など、韓国女性達の人権を保護します。

7)その他

 米軍駐屯によって国民達が経験する被害を根絶し、自主的で平等な韓米関係を築くために活動します。

8)会員団体(総26ヶ団体)

 タビタの家、トゥレ房、東豆川民主市民会、メリノール修女会女性分科、民主主義統一群山オック連合、民主主義民族統一全国連合自主統一委員会、民主主義法学研究会、仏教人権委員会、新しい世を開く天主教女性共同体、ソウル地域総学生会連合、全国労働運動団体協議会、全国牧会者正義平和実践協議会、全国女子大生代表者協議会、カトリック女性福祉委員会、平澤民主実践市民の集い、韓国教会女性連合会、韓国キリスト教教会協議会女性委員会/人権委員会、韓国キリスト青年協議会、韓国キリスト学生会総連名、韓国労働運動協議会、韓国大学総学生会連合、韓国民主青年団体協議会、韓国女性の電話、韓国女神学者協議会、一つの声会(参観:女性教会)


編集後記

一度始めた闘いはやりとげよう!

 約4年間、研究し実践した資料を整理して皆さんに提供しました。研究と実践の長い過程に比べれば、あまりにも短い時間に完成しなければならない状況のために緻密な執筆をできませんでした。本を完成したという喜びやすがすがしさより名残がはるかに大きい理由もこのためです。

 この本が多くの方達に読まれることを望んでやみません。そのことを通して、韓米関係の現状を確認し、恥辱的な韓米行政協定が平等なものに正され、ひいては民族の主権を回復する運動に繋がればという思いが切実です。たとえ内容に不足し、不出来だった部分が多少あるといっても、この本に載せられた内容は、韓米行政協定の実体に最も近づいたものと自負します。

 現実は常識が通じず、非正常的なことが幅を利かせていますが、我々の感覚は麻痺されています。主権国家の軍隊をどうして外国軍隊が指揮権を持って牛耳ることができ、首都ソウルのど真ん中に米軍基地が巨大にそびえることができ、米軍があたかも主人であるかのようにわが国民と法の上に君臨することができるのか...我々の理性の目が目覚められなければなりません。ねじれた韓米関係は正されなければなりません。

 韓国と米国政府は、またぞろ「対国民詐欺劇」を演出しようとしています。95年11月から進められてきた韓米行政協定改正協商の輪郭が露見したまま、近々両国政府の合意がある予定です。国民に知らさせた米軍犯罪などのいくつかの条項のみを直して、国民を欺瞞しようという彼らの生態に空笑いが出てくるのみです。断言しますが、100分の1のみ直す韓米行政協定改正は無効だ!

 息を抜くひまもなく動き実践しなければならない条件でも、状況を恨むことなく熱心に共にしてくれた崔ヒョンジュ、チョン・ユジン二人の幹事に感謝します。そして、「貧しい顧客」であるにも拘わらず、夜を徹して時間を合わせて完成してくれたキル企画の皆さんにも感謝を伝えたい。何より、その間熱心に研究し、諮問して下さった、李ジャンヒ教授をはじめとした韓米行政協定改正委員会のすべての先生に心からお礼申し上げます。

 韓米行政協定を平等に正すことは、民族自主権を回復することであり、民族的自尊心が掛かった問題です。

一度始めた闘いは、やりとげよう!

1996年5月

事務局

発行日:1996年5月22日

発行所:駐韓米軍犯罪根絶のための運動本部

ソウル市鐘路区ヒョジュ洞5−2204

電話:02)744−1211


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