コリア国際戦犯法廷のためのレポート「朝鮮戦争と日本」

 

 

 朝鮮戦争下の米軍による虐殺蛮行は、半世紀にもわたり国際社会からその非を問わ

れぬまま放置されてきました。これが今ま

藤目ゆき「冷戦体制形成期の女性運動 −占領下の日本民主婦人協議会と朝鮮戦争

−」三宅義子編『日本社会とジェンダー』明石書店、2001年刊行予定 

さに全世界の朝鮮民族と良心ある人々の連

帯によって告発されようとしているという事実は、21世紀が平和と正義の世紀となる

ことを願う世界中の民衆に明るい希望を与えるものです。日本においてもコリア国際

戦犯法廷に熱い期待と連帯の思いを寄せる人々がいます。日本もまたこの戦争の当事

国であったからです。以下、朝鮮戦争への日本の関与について報告します。

 

1.日本の実質的参戦

 近代日本の朝鮮植民地支配と、その遺産を土台にして戦後アメリカが南朝鮮軍政支

配を展開した事実を考えれば、朝鮮戦争が発生するそもそもの歴史的根拠をつくりだ

したことに日本の責任があることは明らかです。日本植民地支配の負の遺産は、朝鮮

戦争下、植民地時代に旧日本軍に訓練された韓国軍が旧日本軍の体質を継承して民間

人への虐殺と蛮行を敢行したことにも表出しています。が、日本はたんに過去の植民

地支配に責任があっただけではありません。朝鮮戦争当時の日本の対米協力はとてつ

もなく大きかったのです。 日本の貢献の大きさは、他ならぬアメリカ側の評価とし

ても公言されています。

 「これ(日本)なくしては、朝鮮戦争をまったく、またかくも効果的にたたかうこ

とは、ほとんどできなかったであろう」(ライシャワー元駐日大使『太平洋の彼

岸』)

 「国連軍の前進補給基地としても、国連空軍の攻撃基地としても、日本が戦略的に

みてきわめて有用であることを証明した」(Foreign Policy Bulletin, 22 June

1966)

 「日本人は驚くべき速さで、かれらの四つの島を一つの巨大な補給倉庫に変えてし

まった。このことがなかったならば、朝鮮戦争は戦うことはできなかったはずであ

る」(マーフィ初代駐日大使『軍人のなかの外交官』)

 「日本人の船舶と鉄道の専門家たちは、かれら自身の熟練した部下とともに朝鮮へ

行って、アメリカならびに国連の司令部のもとで働いた。これは極秘のことだった。

しかし、連合国軍隊は、その朝鮮をよく知っている日本人専門家たち数千名の援助が

なかったならば、朝鮮に残留するのにとても困難な目にあったことであろう」(同

前)

 「日本におけるPD調達による車輌修理および再生役務の実績なかりせば、朝鮮事変

は三ヶ月間も維持できなかったであろう」(リッジウェイ米第八軍司令官の回想『占

領軍調達史役務編』)(林、pp174-175)

 日本政府の対米協力方針に基づいて、広大な日本の領土、全産業、多数の日本人が

アメリカの戦争遂行のために利用・動員され、米軍作戦になくてはならぬ協力を果た

しました。日本は朝鮮戦争の全過程を通して米軍の出撃・兵站補給・輸送・中継・修

理再生・医療休養のための基地でした。日本経済は米軍「特需」にわき、多数の日本

人が軍需産業で働きました。朝鮮半島に降り注いだナパーム弾も日本で製造・調達さ

れたのです。また多くの日本人が朝鮮半島・朝鮮海域に渡って国連軍のために働き、

掃海作業、部隊の移送や武器弾薬の整備・修理・輸送など、米軍作戦の後方支援に従

事しました。そこに旧日本軍関係者が多数参加しており、日本特別掃海隊には元大日

本帝国海軍軍人1200名が参加し、また細菌戦には悪名高い石井部隊関係者が関与した

のです。そして北朝鮮・中国人捕虜の一部は日本に拉致され虐待を受けました。日本

は名目的にこそ参戦国ではありませんが、実質的に参戦していたのです。

 日本の果たした役割は、わずかの兵力を派兵した国連軍参加国よりもはるかに大き

かったと言わねばなりません。朝鮮戦争下の米軍がいかに南北朝鮮民衆に対して虐殺

・蛮行を行ったかを、1978年に先駆的に日本で訴えた平和運動者である林茂夫氏は、

その著書において「日本の朝鮮戦争における犯罪度はアメリカについで大きいもので

あった」と指摘しています。かくして日本は、アメリカの南朝鮮支配と朝鮮戦争遂行

の土台を提供したのみならず、米国の朝鮮戦争遂行を全面的に支えたのです。

 朝鮮戦争勃発当時日本が連合国占領下にあった事実は日本の責任を免れさせる理由

となりません。南朝鮮で済州島4・3抗争が発生した「小さな戦争」の時期からすで

に日本政府はGHQと結託して在日朝鮮人の民族運動に対して暴力的弾圧を加えるよう

になり、祖国の統一を願って活動していた朝鮮民族団体を強制解散させる暴挙を行っ

ています。朝鮮戦争直前には日本共産党中央委員の公職追放、集会・デモの全国禁止

令布告が強行され民衆運動に対する弾圧が激化しました。朝鮮戦争発生とともにレッ

ドパージの嵐がふき、鮮戦争介入に反対する労働組合のナショナルセンターは解散を

命ぜられました。他方、朝鮮戦争勃発直後の国会で吉田茂首相(当時)は、朝鮮戦争

が「共産勢力の脅威がいかにすでにわが国周辺に迫っておるかを実証するもの」であ

ると米軍の出動を全面的に支持し、これに協力することを当然とする演説を行ってい

ます。岡崎官房長官(当時)、田中最高裁長官(当時)は米軍の戦闘に日本人が参加

することさえ主張しました。国会で朝鮮戦争反対・米軍批判の演説をした唯一の国会

議員・川上貫一は議員を除名され、公職追放されています。ことほどさように朝鮮戦

争における対米協力は疑う余地無く日本支配層が主体的に選択した政策であり、日本

政府は反対勢力に対してGHQと結託して法外な弾圧を加えることによってこれを貫徹

させたのです。

  そして日本政府の態度は占領解除後にも継承されています。朝鮮戦争実質参戦を背

景に日本は再軍備を開始し、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約を締結するこ

とでアメリカとの結びつきを固めました。以降の半世紀、日本は旧植民地・侵略戦争

被害地域民衆に対する戦後補償を履行しないまま、日米の軍事的絆と自衛隊を増強し

続け、朝鮮半島の統一を阻害する役割を果たし続けてきたといわねばなりません。

 コリア戦犯法廷における被告はアメリカ政府とのことですが、このアメリカ政府に

対する最大の加担者であった日本政府がイノセントでなかったことはあまりにも明ら

かです。日本は朝鮮植民地支配の罪業はもちろんのこと、この上に重ねた朝鮮戦争に

おける米軍加担の犯罪を認め、償わねばなりません。

 

2.朝鮮戦争の犠牲にされた日本の民衆

 朝鮮戦争における日米両政府の結託は、全土が朝鮮戦争のための米軍基地と化した

日本においても、多くの人々を戦争遂行の犠牲にしました。

 当時、GHQ・日本政府は対米協力の内容を機密として国民に隠し、米軍の作戦、事

故、犯罪などの犠牲になり死傷した人々の存在を報道したり告発したりすることは米

軍の利益に反するとして、厳格に禁圧しました。最も直接的な犠牲者についても、

GHQの命令で日本政府機関が手配した掃海活動で犠牲者が出た事実すら、政府は公表

を禁止し、占領解除後も国会で日本掃海隊の参加と殉職者の存在を問われた吉田首相

(当時)は鉄面皮にも「何も記憶していない」と答える有様でした。

 『占領軍調達史』(1958年)には開戦後半年間で港湾荷役や輸送業務などに従事し

ていた56名の死亡が記録されていますが、それは公的に確認された数にすぎません

(大沼、p.4.)。非公式ルートで動員された日本人男女が実際には莫大に存在してい

たので、相当の死傷があったと考えられます。労働者のなかには朝鮮の領土・領海で

の作業だと知らずに連れ出され、危険な作業を強いられた人が少なくありません。日

本政府は日本人の戦闘参加を否定し続けていますが、米軍に加わり戦死を遂げた男性

の遺族が、遺骨返還と補償を求めた事例もありました。このとき米軍は「日本人は戦

闘に加わっていない」という建前から拒絶しました。正規の召集であった日赤看護婦

をはじめ、女性もまた戦場に動員されています。看護や事務の仕事だといわれて米軍

に随行し、戦場で米軍「慰安婦」にされた女性たちが数百人にのぼるという情報もあ

ります。また朝鮮戦争当時は軍需工場の爆発や基地内外の事故、また軍機墜落などに

よって民間人が理不尽にまきぞえにされています。

 国連軍兵士の犯罪も多発しました。日本占領の7年間、占領軍の将兵・軍属による

殺人や放火、強盗、強姦、傷害事件は続発しました。無法に殺された人は確認された

数字だけでも2536人にのぼります。また占領軍の性暴力事件は無数に発生し、その被

害者を毎年最低三万人に推定する説もあります。とりわけ朝鮮戦争が勃発してからは

在日米軍の増強と兵隊たちの自暴自棄的な心理が影響して米軍犯罪は凶悪化し、軍事

拠点周辺では毎日のように血なまぐさい事件が起こりました。例えば九州北部は朝鮮

戦争勃発後、前線を直近で支える米軍の広域基地のような様相を呈するようになりま

したが、朝鮮戦線へ送り出される兵隊たちが密集した福岡県小倉市では開戦直後の7

月4日には兵士4名による民家襲撃・一家四人惨殺事件、7月7日には米兵100人ほどの

集団脱走・民家への乱入、暴行、強奪の事件が起こりました。これが、米兵に妻を強

姦された男性の報復を描いた松本清張の短編「黒地の絵」のモチーフとなった事件で

す。女性に対する暴力は朝鮮戦争のもとで新たに制度化され、米軍買春のための公娼

制度が米軍と日本政府の協同で新設され、米軍人相手をする女性は開戦から一年ほど

のうちに十万人を突破しています。これらの米軍犯罪・性暴力被害者は、そのほとん

どが泣き寝入りを強いられました。

  また見過ごすことのできないのが、朝鮮戦争前夜から激化した反戦勢力に対する強

権的排除です。レッドパージはジャーナリズムをはじめとして全産業部門におよび、

一万三千人以上の労働者が職場を追われました。団体等規正令・占領目的阻害行為処

罰令などの治安法が猛威を振るい、反米的言動を理由におびただしい件数の家宅捜

索、逮捕、起訴が実施されました。反戦ビラをまいたり平和集会に参加した多くの良

心的市民が不当に逮捕され、弁護人もない軍事裁判で重罪を宣告され、投獄されまし

た。1951年には国際民主女性連盟(Women's International Democratic Federation)

が朝鮮戦争戦場に調査団を派遣し、米軍の虐殺・蛮行の実態を報告書にまとめました

が、この報告書を日本語に訳して人々に読ませようとした日本人女性たちも逮捕、投

獄されました。日本人にまして苛酷な迫害を受けたのは、祖国防衛闘争を闘う在日朝

鮮人たちです。「南朝鮮と日本の軍事基地化反対、日本での武器製造・輸送反対」を

スローガンに在日朝鮮人と日本人の共闘は暴圧下にも続きましたが、GHQ−日本政府

は在日朝鮮人に対しては外国人管理強化と韓国への強制送還でのぞみ、死地に追い

やったのです。

 占領が解除されてからも朝鮮戦争が引き続く中、在日と日本人の団結で反戦闘争は

高揚しましたが、日本政府の弾圧は続き、「血のメーデー」と呼ばれた講和発効直後

の1952年のメーデーではデモに参加した二名が殺され、千数百名が逮捕されていま

す。朝鮮戦争勃発二周年を迎えた同年6月から7月にかけても騒乱罪で111名が起訴さ

れた吹田事件、150名が起訴された大須事件などが連続して起こっています。

 かかるレッドパージ犠牲者や反戦運動の弾圧犠牲者は、殺されたり自殺したり、身

体に障碍を負わされたり、不当にも獄につながれたり被告として長期の裁判を強いら

れたり、また就職や結婚をはじめ市民生活に差別を受け、迫害と苦難の人生を歩むこ

とを余儀なくされましたが、今日もなおその多くが名誉回復されていません。

 アメリカの朝鮮戦争を後方で支えた日本においてもこのようなかたちで民衆が日本

の対米協力のための犠牲にされて死傷し、人権を蹂躙され、あるいは平和を求めたこ

とによって理不尽な処遇を受けてその後の人生を傷つけられたのです。私たちはこの

ような日本における在日朝鮮人と日本人の経験をふまえて、コリア国際戦犯法廷に心

を寄せるものです。

 

 コリア国際戦犯法廷がタブー化されてきた朝鮮戦争下の米軍犯罪を国際社会に告発

し断罪することは、半世紀前に虐殺蛮行を被った無数の被害者・遺族の正義を実現す

ることであり、同時にそれは朝鮮戦争以後も今日に至るまで駐留を続けて民衆を苦し

め南北朝鮮の統一を阻害している在韓米軍・在日米軍、そして朝鮮戦争における協力

を起点とする日米韓軍事同盟体制の素性を明らかにすることでもあります。それは今

日の米軍のアジア10万人体制と日米新ガイドラインに反対する民衆の国際平和運動に

とって新たな跳躍台にもなるでしょう。コリア国際戦犯法廷において正義の判決が下

されることを待望します。

 

 

主な参考文献

吉岡吉典「朝鮮戦争と日本」藤島宇内・畑田重夫編『現代朝鮮論』勁草書房、1966年

林茂夫『駐「韓」米軍』二月社、1978年

山崎静雄『史実で語る朝鮮戦争協力の全容』本の泉社、1998年

藤目ゆき「冷戦体制形成期の米軍と性暴力」『女性・戦争・人権』第2号、1999年

藤目ゆき「国際女性調査団のみた朝鮮戦争」『女性・戦争・人権』第3号、2000年

大沼久夫「朝鮮戦争における日本人の参戦問題」『季刊戦争責任研究』第31号、2001年