『国連軍の犯罪 民衆・女性から見た朝鮮戦争』出版記念集会講演
藤日ゆき
2000年10月22日
於:南宇治コミュニティセンター
本日はどうもありがとうございます。
朝鮮戦争は今年が50周年です。
かねてから50周年という機会をとらえて何かしたいと思っていました。朝鮮戦争勃発50周年、とくに国連軍の仁川上陸50周年に寄せて大きな反戦集会とか。実際にはなかなか難しくて、そうもいかなかったんですが、『国連軍の犯罪』の出版で一つ形にできたかな、と思っています。今日はこんな出版記念の集まりを開いていただいて、けっこうたくさんの方に来ていただいて、とても嬉しいです。
『国連軍の犯罪』の内容について
『国連軍の犯罪』という本は‥・
『国連軍の犯罪』という本は資料集です。
朝鮮戦争での国連軍の犯罪に関する国際NGOの調査報告書を三つ収録しています。
朝鮮戦争の勃発が1950年6月なんですが、1951年5月、国際女性調査団が戦場を視察します。
その報告書が一つ。次が法律家調査団の報告書です。国際民主法律家協会が調査団を編成して現地へ行ったんですが、その報告書です。三つ目が、科学者たちの報告覿彼らは特に細菌戦の被害状況を科学的に検証するために派遣された人たちでした。
以上三つの報告書を集成したわけですが、
副題に「民衆、女性から見た朝鮮戦争」とつけているよぅに、この資料集の特色は、戦場になった朝鮮半島で民衆・女性の体験がつぶさに検証され具体的に報告されていることです。
お読みいただけたらよくわかると思うんですけど、国連軍の側のおこなった民衆に対する虐殺・蛮行は、国際法でも戦争犯罪とされているものでした。
無差別爆撃
一つの要素としてはまず、無差別爆撃ということ。戦争の中で攻撃が正当化されているのは軍需工場や軍事基地のような軍事目標です.。お寺や教会だの、学校や病院だの、博物館や美術館だの、戦争に関係のない建造物、これらは攻撃してはいけないことになっている。もちろん人々が生活している民家や住宅地も爆撃してはいけない。
けれども実際の空爆・攻撃は完全に無差別的なものでした。調査団の人々が自分の足で戦場を視察して回ったのですが、どこへ行っても無傷な建物がない、四方に壁がちやんと残っている家がない、屋根がそのまま付いている家がない、ほとんど廃虚に化していて人々はみな住むとことろがなくなって、仮小屋に住んでるとか地下に穴を掘っているとか天然の洞穴のなかに身を潜めているというような、そういう凄絶な有様というのが報告をされています。行く先々すべて廃虚であったと、生々しい実態が報告されているのです。
それも建物だけではなくて、爆弾・銃熟は老人、子どもを含む民間人の頭上に降り注いだわけです。何か軍事施設を破壊しようと思ったらたまたま老人に弾が当たったとか子どもも爆弾を浴びてしまったと言うことではなくて、意図的に民衆を攻撃していたのです。つまり小学校や民家に米軍機が低空飛行でやってきて、肉眼で把握できるぐらいの距離で、ハツキリ見えているにもかかわらず逃げまどっている老人や女性や子どもたちを機銃掃射する、そのような事例が多数、詳しく報告されています。
占領地での暴虐
もう一つの要素は、米軍が一時占領した地域での暴虐です。国連軍が仁川に上陸した直後、38度線を北進して北朝鮮の諸地域を占領します。そのときまことにむごたらしい虐殺、蛮行があちこちで起こつているのです。占領地域で住民をことごとく小学校などにかり集めて「アカがどういう日に遭うか教えてやる」と、不当に拘束して、牢獄こ監禁して拷問を加えたり、集団虐殺したり。その中にはもちろん朝鮮人民軍の兵士の家族や労働党員、政府の役人もいるわけですが、一般の普通の人々が大量に不当な逮捕、拘束、拷問、酷刑、虐殺の犠牲になっていました。農民組合や生活協同組合、労働組合で活動していたとか、そういう活動家の親戚や子どもだとか、そういうことまでいえば確かにみんな「アカ」なわけですが、それこそ生まれたての赤ん坊や幼児もひつくるめて「アカの赤ん坊、アカの
子供は虐待しても殺してもかまわないといった扱いをして、監禁してしまう。狭くて、横になるどころか、ろくに人間が立っていられないような狭いところに赤ん坊や子どもまで監禁して、そんな牢獄のなかで多くの老若男女が窒息したり、飢死したりして死んでいます。
「拷問」の内容は殴る、蹴るという暴行だけでなく、親の前で子どもを引き裂くとか、子どもが泣いたからと突き殺すとか、女性の場合多くが性拷問、性暴行、性虐殺を受けています。乳房を切り取るとか、妊娠中の女性のおなかに裂いて胎児を取り出すとか膣に焼き火箸をつつこんでつきさして殺すとか。女性を全裸にして村のさらし者にするといったことはよく行われたようです。その女性に拷問をかけて「アカの女はこういう目にあうんだ」と村人へのみせしめにする。そいうことが北朝鮮の占領された諸地域で起こつたということです。こうした残虐ぶりに関して、女性調査団の報告書では、ナチスドイツ
がヨーロツパ諸地域を占領した時の暴虐より以上の悪逆だ、と書いています。
性暴力の問題
最近・90年代に至ってこそ、戦時性暴力が独自の戦争犯罪として重く見られるようになりましたが、1950年代にはまだ全然そのような視点が確立しているわけではないんです。だから特に「性暴力」だけで独自の報告項目を構成するということはなされていません。しかし随所にそれは伺いしれます。性拷問だけでなく、国連軍兵士が欲望を満たすために女性たちをレイプする。そういう強姦についても多数の報告があります。またレイプセンターも作られていたようです。「慰安所」といった呼び慣わしがありますが、「レイプセンター」と呼ぶべきだというのが近年、国連人権委員会の報告などで言われることで、その方が適当な呼び方だと思います。つまり一カ所に女性を収容して監禁して、そして、兵
士たちがレイプする。そのためのセンターが国連軍占領地域でもつくられていた形跡がある。具体的にはピョンヤンなど何カ所かについて、そんな報告が含まれています。
細菌戦の問題
戦争犯罪として、細菌戦の問題も重要です。旧日本軍の731部隊など、が中国人を人体実験に使ったことなどご存知の通りですが、その細菌兵器問題は東京裁判で裁かれていないんですね。その理由は第二次世界大戦後米軍が、この旧日本軍の細菌戦の蓄積を米軍のものにして今度は米軍の作戦上に使おうとして、それで細菌戦関係者を庇護したんだとこれまでも指摘されてきました。実際、細菌戦関係者が朝鮮戦争時に朝鮮半島に渡り、米軍に協力していたのはハツキリしていることです。
帝銀事件という事件をご存知でしょうか。日本占領下に起こった、銀行が襲われて毒薬が使われて人がたくさん死んだという事件ですが、捜査の過程で旧日本軍関係者が犯人ではないかということが相当見えてきたにもかかわらず、なぜかしらその線がうやむやにされていった。その背景にも占領軍の、細菌戦関係者を温存して米軍の利益に使おうとする意図と圧力があったんじやないかといわれたりしています。
ちょっと話が『国連軍の犯罪』の内容からずれてしまいましたが、ともかくそういう風にして米軍は旧日本軍関係者を利用して朝鮮戦争で細菌戦をやった。それについて52年にはいるとどんどん情報があがってきて、朝鮮半島のみならず中国の領域内でも細菌戦がおこなわれている、多くの人々がチフスやコレラに苦しめられていると、このことを中国や朝鮮の政府が国際社会に告発するようになります。これを調べるために来たのが科学者の委員会です。長い報告書で、法律家や女性のに比べたら読みづらいかなと思うんですが、そのぶん説得力のあるものになっています。
細菌戦の他にもナパーム弾や時限爆弾など、非人道的兵器というか、対人殺傷・大量殺りくのための汚い兵器が相当広範囲に朝鮮戦争では使われました。ナパーム弾というのは親子爆弾です。爆弾の中に爆弾があって爆発したらそれがどんどん爆発して凄い被害をもたらすんですが、このナパーム弾も朝鮮戦争で初めて広範軌に使用されました。そんな新兵器を国連軍が使ったことも、報告書を読んでいただけたらよくわかるかと思います。
朝鮮戦争の背景
朝鮮戦争の起源
朝鮮戦争の背景をお話ししておきたいと思います。
「1950年に朝鮮戦争が勃発した」と先ほどから何度も常識のように言っているのですが、確かに「大きな戦争」としての朝鮮戦争は50年6月25日に勃発しています。けれどもこの6月25日に勃発する戦争に収赦していくような小規模な戦闘はそれ以前に始まっており、起源は実は1945年日本の降伏・南朝鮮への米軍進駐と軍政に遡ります。1945年8月日本降伏による「解放」と同時に、朝鮮民衆は人民委員会、建国準備委員会といったような自分たち自身の建国組織を作ります。彼らは長い日本の植民地時代に抗日独立戦争を戦ってきたわけですし、決して外国に頼る必要もなく朝鮮人は朝鮮人自身の力量で自分たちの新しい国を建国することができると、実際そういう動きがあったわけです。朝鮮人民共和国という新しい独立国の樹立宣言が実際に行われています。
ところが朝鮮民衆の自主独立の動きとは別のところで、38度線を境に南はアメリカ、北はソ連が日本軍を武装解除するというかたちで進駐します。38度線以北に関してはこれは基本的に朝鮮人民の人民委員会これの決定とか、新しい建国の努力を支持するというという立場をとっているんですね。それに対して38度線以南を占領した米軍はたちまちの内に軍政を敷きます。つまり、アメリカの軍事力を背景にしたアメリカの政治をやるわけです。朝鮮人民共和国・人民委員会といった、朝鮮民衆が自主的につくろうとしていた民衆組織、民主政府これをことごとく武力で弾圧していくわけですね。ですからアメリカ軍政の時代から南朝鮮ではしれつな反米救国闘争が闘われています。
南朝鮮こおける民衆抗争
軍政をしいたアメリカは朝鮮民衆の自主的な戦いを弾圧し、親日派の追放や土地改革や労働改革の努力もことごとく抑圧し、単一民族であって38度線で仕切られる何の覚えもない朝鮮半島を38度線で分断し、南で単独に親米政権をつくってアメリカの支配を永続化しようとしてゆく。こういう状況のなかで南朝鮮では1950年の戦争勃発までに、熾烈な闘いが繰り広げられているわけです。
例えばその中の大きな一つに48年4月3日に勃発した4.3民衆抗争があります。これは済州島という韓国の南に島でおこった民衆蜂起で、すさまじい鎮圧作戦が行われてゆきます。焦土化作戦といつて、島ぐるみ虐殺がおこなわれました。老人も子どもも赤ん坊も含めて、どう少なく見積もっても三万といわれる人命が失われています。済州島に鎮圧に動員される国軍の兵士たちが、「同じ朝鮮人同士なぜ殺し合わなければならないか」と抵抗し反乱を起こし、市民たちが合流した、麗水・順天事件が48年秋には起こっています。そこでも何千人もの人が犠牲になっています。弾圧を逃れて山にはいつた多くの人が山岳を拠点にパルチザン闘争を展開しました。このようにして50年6月25日の戦争勃発までに「小さな戦争」が始まっているわけです。そして10万、20万、と人々が命を落としている。だから戦争は厳密には6月25日に始まったわけではなかったのです。
こめような1945年から50年6月までの朝鮮半島の状況は、第二次大戦中後の冷戦の焦点の一つでした。第二次大戦の終焉と同時に米ソ冷戦世界が東西両陣営にわかれて実際の戦争に至らないにしても非常に緊張が高まっていきました。冷戦とはいえ局地的には戦闘行為も流血もあり、第三次大戦の火種になっている、軍事的緊張が深刻化しているこういう状況が世界的にでてきていました。
国際調査団派遣の背景
国際平和運動の高揚
第二次世界大戦後の新しい動向として、冷戦の激化に対抗する国際平和運動が高揚したということがあります。ヨーロツパでは第二次大戦前から広範囲な人々が反ファシズムの統一戦線、共同行動に立ち上がっていました。そんな反ファシズム運動の経験をベースに、第二次大戦直後から、新しい国際平和運動をっくる動きがいろんな分野からでてきます。
その先駆けの一つが国際民主女性連盟という女性の組織なんですけども、1945年暮れですから他のどの団体に比べても早いわけです。女性の解放、母と子の幸せと、その前提となる平和そういうことを目標に掲げ、東西両陣営にまたがる世界中の国から女性たちが参加した組織です。南北朝鮮の女性たちも、中国の女性たちも朝鮮戦争前からこの組織に参加しているんです。他にも、科学者の国際組織も平和運動に顕著な役割を果たしています。女性や科学者や知識人や労働組合や学生が第二次世界大戦後につくった新しい世界組織は、ファシズムと第二次世界大戦の経験をふまえて、新しい戦争を拒否して恒久平和のために国際的に団結しようという志向があり、それらが結集して世界平和擁護大会を開いたり、世界平和評議会(WPC)を発足させたりしてゆくのです。朝鮮半島に視察団を送った三つの調査団はどれも、そんな国際的な平和運動の流れの中に位置する団体です。
1945年以後の朝鮮半島の動向に国際和運動の諸団体は非常に危機感を持っていました。特に当時アメリカは朝鮮半島に原爆を落とすとまで言っていたのです。核の力で恫喝をかけていたわけです。それは非常に第三次世界大戦の危機にもつながります。原爆が使われたら朝鮮半島が無茶苦茶になるのはもちろんのこと、それが新しい発火点となって世界を「冷戦」ならぬ「熱戦」、第三次世界大戦が起こつてしまう。
こういう危機感の中で世界平和評議会のよびかけたストックホルム・アピールには一年足らずの間に全世界の五億人か署名しました。「次に核兵器を使用する国は人類の敵である」と核兵器の使用禁止を主旨にしたアピールなのですが、東西両陣営、五大陸全域から署名が集りました。アフリカの識字率の低い地域では手形を平和への意志表示にしたのだそうです。
このような国際平和運動の流れの中で、まず国際民主女性連盟が朝鮮戦争に調査団を送ったのです。アメリカの率いる国連軍が朝鮮に対して帝国主義的侵略戦争を行い、そのもとで報告書に記さ
れているような戦争犯罪が積み重ねられ、民衆がとてつもない受難を強いられている。それに対して国際的平和団体が調査団を派遣して実態を世界に公にし、国連軍撤兵・朝鮮戦争の即時停戦を求める運動を展開する。そういう構造だったといってよいと思います。
平和運動への弾圧
この国際平和運動なんですが、西側諸国においてこの平和運動は決して生やさしいことではなかったということも言っておきたいと思います。署名が5億集まったとか世界中から集まったとか言ったので、誰もが気楽にやってたんじやないかというイメージをもたれたかもしれませんが、そうではなくて、非常に厳しい弾圧の中でそれだけの署名が集まったということなんです。
冷戦状況は朝鮮半島とかドイツとか厳しく現れた場面に存在しただけではなくてアメリカでも日本でもフランスでもイギリスでも、全世界どこにおいてもあったことです。つまり戦争を拒絶し軍縮や民族自決を要求する民衆の側と反共冷戦政策を進める西側諸国の政権との間にはハツキリ矛盾が存在するわけで、それぞれの国で民衆運動があり、またまたこれに対する政府の弾圧・国家テロリズムが展開しています。例えば国際女性調査団にしても、調査団に参加した女性たちも本国に帰ってから法廷に召喚されたり、あるいは解職されたり投獄されたり迫害を受けています。
日本に関して言えば、当時は占領下ですから反戦ビラを撒いたそれだけで占領軍によって逮捕されると言う非常に厳しい弾圧体制のもとにありました。だからストックホルム・アピールのような人道主義的な署名運動これさえも「アカの運動」とレッテルを貼られたり、拘束されたりする。ですから反戦平和運動は、職場を追われるとか投獄されると言うような緊張した状況の下でおこなわれたわけです。
血の叫び
特に皆さんに紹介したいことがあります。国際女性調査団の報告書は、実は占領下の日本においても女性グループが日本語訳して発行しているんです。『血の叫び』という題のパンフになっています。内容的には『国連軍の犯罪』に収録したものと同じです。読んでみられたらわかると思うんですが、その内容は共産主義とかイデオロギー的なものではありません。何日どこの街に行って何を見たとか、誰の証言を聴いたとか、死体が埋まっていた現場の状況とか、見聞した事実を具体的に報告した文書なのです。
しかるに『血のさけび』を発行して人に配ったとことが罪とされ、女性グループの活動家が一、二年投獄されているんです。これが占領下には普通だったわけです。逮捕当時のその新聞記事を見つけたんですけども、どんな記事かというと、すごく恐ろしげに書いてあるわけです。おどろおどろしくおぞましそうなんですね。『共産党女子党員の秘密文書発覚』とか。何か得体の知れない怖いことがおこなわれているという、その記事だけを読んだ人はそうとしか受け取らないそのような記事なのです。逮捕された女性は、起訴されて、投獄されてしまうわけですが、その逮捕や投獄が不当だとという感覚さえ当時はもたれなかったし、そもそも『血のさけび』が世間の目にふれてない。だから是非そういう問題意識でも女性調査団の報告書を読んでもらいたいと思います。占領下には、こういう報告書が厳しい弾圧の対象になり人を投獄する罪とさえされていた。一体それはなんだったのか。そういう問題意識で国際女性調査団の報告書を読んでいただければ、と思います。
国連軍の犯罪を問う今日的意義
内容とか背景は以上にして、私自身がなぜこの『国連軍の犯罪』を出したか、今日的意義といいますかそういう話しをしたいと思います。『国連軍の犯罪』の解説の所でいくらかは書いたんですけども、言いたいことを十分に言えてなくて自分としては不満感がある文章になっています。それを補足する形でお話したいと思います。
日本人の朝鮮認識の歪みと欠落
今日的意義ということで、私が一番強く思ってきたのは、あまりにも日本人の朝鮮戦争に対する忍識が歪んでいるということ。そこに危機感があります。朝鮮戦争にほとんどの人はイメージを何も持っていない、何も知らないのも普通のようです。ちょっと知っている人なら、「第二次大戦後、朝鮮戦争があった。それは東西冷戦の表れの一つで北はソ連、南はアメリカが応接して戦争した代理戦争みたいなものだった。日本は特需のおかげで大きく儲けさせてもらった。隣国の人たちの不幸で儲けて気の毒だったんだけれどもそれが高度経済成長のきっかけになって、その後日本の経済も復興して豊かな国に発展した」。そういった認識の仕方…。これはそこそこ一般的な認識であろうかと思います。
でもそれも、他人の戦争で儲けて何か気の毒だったなと何かしら後ろ暗さのニュアンスがあったとしても、どれだけそれが本当に朝鮮民衆の実体験に即し、痛切な感覚を伴ったものかどうかを問い出すと、誠に疑問なわけです。ほとんど何も実感はないわけです。
日本人のほとんどにとって戦争といえば1945年8月に終わっている。自分の頭上に空襲が行われなくなったらばこれで戦争は終わったということなんです。朝鮮戦争とはあくまでも「よその国で何かあったらしい」ことに過ぎないわけです。『国連軍の犯罪』で暴き出されているようなあまりにも凄惨な400万人の朝鮮人が命を落としたといわれるこの巨大な戦争において、実は日本は不可欠の役割を果たして米軍の最大の出撃拠点は他ならぬ日本でした。実質的に日本は参戦していた。いろんな意味で日本は当事国であったわけですが、日本人のほとんどは参戦したという自覚がない、またその戦争で朝鮮の人々がどんな苦しみを味わったかということについて、何の実感もない。
反共冷戦構造に呪縛された朝鮮戦争認識
これはやはり日本が冷戦の片側にすっぽりはまってきたことに由来していると思います。朝鮮戦争にアメリカの協力をするために朝鮮侵略戦争に加担するためにアメリカに支援するために日米安保条約というのは結ばれ、米軍基地が今日に至るまで日本に存在している。親米反共の冷戦構造のアジアにおける大きな砦として日本が戦後歩んできた、この構造の中でやはり国民の歴史認識というのは冷戦の呪縛から自由でない。冷戦の片側にはまっている国の国民にとっては、「朝鮮戦争は全体主義のソ連一北朝鮮の侵略に対して民主主義国アメリカが国連という正義の世界組織を率いて正義の開いを敢行した戦争」、こういう描き方が非常に心地よいわけです。政権の側はもちろんそういう宣伝しかしない。
特にこの10年、90年代に入っての状況というのはもともと歪んでいる朝鮮戦争認識を輪をかけて歪ませる、北朝鮮敵視論が非常に強く出されてきた一時代といえるんじやないかと思います。北朝鮮敵視あるいは朝鮮戦争再開準備ということは、朝鮮戦争停戦協定以後も首尾一貫して、この50年間ずっとそうだったといえます。60年代70年代80年代常に「朝鮮有事」が想定されてきたし、北朝鮮は常に仮想敵ではあった。けれどもソ連が崩壊するまでは反ソキャンペーンが中心で、「ソ連がいつ攻めてくるかわからないから軍備が必乳月米安保で日本は守ってもらわなければならない」、こういう識が歪んでいるということ。そこに危機感があります。朝鮮戦争にほとんどの人はイメージを何も持っていない、何も知らないのも普通のようです。ちょっと知っている人なら、「第二次大戦後、朝鮮戦争があった。それは東西冷戦の表れの一つで北はソ連、南はアメリカが応援して戦争した代理戦争みたいなものだった。日本は特需のおかげで大きく儲けさせてもらった。隣国の人たちの不幸で儲けて気の毒だったんだけれどもそれが高度経済成長のきっかけになって、その後日本の経済も復興して豊かな国に発展した」。そういった認識の仕方…。これはそこそこ一般的な認識であろうかと思います。
でもそれも、他人の戦争で儲けて何か気の毒だったなと何かしら後ろ暗さのニュアンスがあったとしても、どれだけそれが本当に朝鮮民衆の実体験に即し、痛切な感覚を伴ったものかどうかを問い出すと、誠に疑問なわけです。ほとんど何も実感はないわけです。
日本人のほとんどにとって戦争といえば1945年8月に終わっている。自分の頭上に空襲が行われなくなったらばこれで戦争は終わったということなんです。朝鮮戦争とはあくまでも「よその国で何かあったらしい」ことに過ぎないわけです。『国連軍の犯罪』で暴き出されているようなあまりにも凄惨な400万人の朝鮮人が命を落としたといわれるこの巨大な戦争において、実は日本は不可欠の役割を果たして米軍の最大の出撃拠点は他ならぬ日本でした。実質的に日本は参戦していた。いろんな意味で日本は当事国であったわけですが、日本人のほとんどは参戦したという自覚がない、またその戦争で朝鮮の人々がどんな苦しみを味わったかということについて、何の実感もない。
反共冷戦構造に呪縛された朝鮮戦争認識
これはやはり日本が冷戦の片側にすっぽりはまってきたことに由来してしいると思います。朝鮮戦争にアメリカの協力をするために朝鮮侵略戦争に加担するためにアメリカに支援するために日米安保条約というのは結ばれ、米軍基地が今日に至るまで日本に存在している。親米反共の冷戦構造のアジアにおける大きな砦として日本が戦後歩んできた、この構造の中でやはり国民の歴史謎放というのは冷戦の呪縛から自由でない。冷戦の片側にはまっている国の国民にとっては、「朝鮮戦争は全体主義のソ連一北朝鮮の侵略に対して民主主義国アメリカが国連という正義の世界組織を率いて正義の開いを敢行した戦争」、こういう描き方が非常に心地よいわけです。政権の側はもちろんそういう宣伝しかしない。
特にこの10年、90年代に入っての状況というのはもともと歪んでいる朝鮮戦争認識を輪をかけて歪ませる、北朝鮮敵視論が非常に強く出されてきた一時代といえるんじやないかと思います。北朝鮮敵視あるいは朝鮮戦争再開準備ということは、朝鮮戦争停戦協定以後も首尾一貫して、この50年間ずっとそうだったといえます。60年代70年代80年代常に「朝鮮有事」が想定されてきたし、北朝鮮は常に仮想敵ではあった。けれどもソ連が崩壊するまでは反ソキャンペーンが中心で、「ソ連がいつ攻めてくるかわからないから軍備が必乳月米安保で日本は守ってもらわなければならない」、こういう宣伝が中心でした。でももはや90年代ソ連も崩壊し米ソ冷戦といっても片側のソ連は存在しない。
ではなぜ冷戦のなかで結ばれた軍事同盟がまだ残っているのか、なぜ米軍を相も変わらず駐留させ続けなければならないのか。そういうときに向こう側がだしてきたのが、「テロリスト国家人「ならず者国家」撃退という新しいコンセプトだったわけです。
北朝鮮はまさにそういうものとして、やれ粒致疑惑だやれ核疑惑だやれテポドンだ、やれ不審船が日本海を航行していると、いつ何時北朝鮮からミサイルが飛来するかもわからない、何か北朝鮮からいつ侵略を受けるかもしれない哀れな子羊であるかのように日本を描く、こういう風に北朝鮮の脅威があるから従って軍備をちゃんと整えておかなければいけないんだという理屈が付けられる。これは90年代の大きな特徴だったと思います。
北朝鮮に対する悪意ある宣伝、民族排外主義の煽動があちこちでおこなわれて、その一方でそれに強く影響されつつ例えばチマチョゴリを来て歩いていた女子学生が襲撃されるとか、そうような在日朝鮮人に対する不当な暴力事件も頻繁に起こりました。
新ガイドライン安保と朝鮮戦争
90年代通じてそういう意識形成というのが続けられてきたと思うんですが、特に97年には日米両政府の間で新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)が合意されて日米安保というのは完全に新しい段階に入ったわけです。飛躍的に発展した段階に入った。そのガイドラインに基づく関連法が昨年制定された。皆さんはわりとそういうことをご存知で危機感を持っておられる方が多いのではないかと思うんですが、そういう周辺事態法にせよ、あるいは盗聴法や日の丸君が代の法制化であったり、そういうことがまさに日本を戦争の出来る国家にする、こういう国家体制をつくっていくというものとして99年にはずいぶん制度化されてしまった。もはやアメリカ側が行くと決めれば日本も行く、どこかで有事があれば世界中どこであってもここで有事だこれは実は周辺なんだそう言えば自衛隊も出動してアメリカ軍と共同作戦を展開して戦争をする。
後方支援というのはもう当然のようにされて、その後方支援では日本の中にいる自衛隊がやるだけではなくて民間施設も動員するし、自治体も動員するそれを当たり前のようにしていく。こういう枠組みが出来てしまったということなんです。
私はここに憤りを覚えるわけですが、「朝鮮有事」とかいうのは一体何なのかというと、つまり「朝鮮戦争再開」ですね。そんな重大なことに対して国民の意識がなぜここまで鈍いのか。一体朝鮮戦争はどういう戦争だったのか、どれだけの人が死んで、一千万離散家族というようなこともふくめて、どれだけ未曾有の悲劇としてこの朝鮮戦争があったか。そんな朝鮮戦争に対して日本がいかに加害者として加担して、またそれが日本国憲法で放棄したはずの軍隊を再建する足がかりになり、そして日米安保が結ばれた。
もしそういうものとして朝鮮戦争を意執していたならば「朝鮮有事に備えて有事立法」という文言が素直にするりと容認されるものだろうか。それを私はよく考えるわけです。実際には、日本人にとって「朝鮮有事」は何かぜんぜん自分に縁のない何のリアリティもない言葉でしかない状況です。
その状況は歪んでいて、非常に危険なものなのではないか。
私は、この日本の戦後史にとって決紳に重要な意味を持った戦争の実態について多くの人に知ってもらいたいと思っています。そのことがまた今日の新ガイドライン安保体制に反対する、あるいはまた米軍十万人体制これに反対するような民衆運動国際的な平和運動に何らかの貢献になればとそのようなことを考てきたわけです。これは『国連軍の犯罪』の「解説」であまり書けなかったのですが‥
今日に続く米軍基地暴力
沖縄と韓国のことは書きました。米軍基地問題は本土に住んでいるとあまり感じないし目立たないし気にならないれども、沖縄住民や韓国の基地周辺に住んでいる人にとったらどうか。米軍基地周辺の暴力というのはずっと続いているわけです。皆さんの中にはメヒヤンニの国際射爆場の速報ビデオを見られた方もいらっしやるんではないかと思うんですが、今非常に大きな反基地闘争が繰り広げられている地域なんですけどもそこのビデオのなかで住民の方が「メヒヤンニは50年間戦争だ」とこういうことを訴えられています。50年というのは何を意味するのか。つまり朝鮮戦争の時に大挙米軍が韓国に来るわけですが、それ以降彼らはずっと韓国に居るんです。駐韓米軍とかたちで居座り続けているわけです。
これは地域の住民にとったら何を意味するのか、耕作地を奪われ、安心して田を耕すこともできない、騒音とかあるいは基地犯罪によって日常的に苦しめられている。この状態はなるほど世間一般では戦争とは言わないかもしれない、でもその地域に住んでいる人にとっては戦争に他ならない、この苦しみを「メヒヤンニは50年戦争だ」という言葉が表現していたと思います。
同じことが沖縄にもあります。今、日米安保条約に基づいて米軍基地は日本にありますが、その75%は沖縄にあるわけです。あれだけ面積も人口も少ないところに75%の基地が集中している、これはつまりは沖縄戦の時と同じで本土の矛盾、本土の負担を沖縄に集中させて沖縄を犠牲にしているのです。そうすることによって日米安保条約の要請に応える、そして沖縄では基地被害、騒音や公害や事故やレイプ犯罪がおこり続けている。
けれども本土で基地と離れて暮らしているとなかなか自分のことのように感じない。よくある反応のひとつが、「まあ沖縄の入って気の毒ですね。沖縄の問題って大変なんですね」こういう反応です。つまり沖縄の問題を自分の問題として考えていないんですねけれど、「自分の問題でないのでしょうか」と聞きたい。日米安保条約は日本の政府とアメリカの政府が結んでいる条約であって「日本の主権は国民にあり」と、これは憲法でもそうなっているし、実際選挙で選ばれた議員が国会に送られている。その枠組みの中で日本国民である以上、日米安保条約は自分の問題であって「沖縄の問題」ではないはずです。にもかかわらず「沖縄の問題」、「沖縄って大変ね」とは何なのでしょうか。
韓国なり沖縄なり実際基地被害に苦しんでいる人々は今現在でもここにいるのだとこの観点を大切にしたいと思います。その人々にとっては在アジア米軍は「朝鮮戦争の時に大変だった」という過去の問題ではなくて、その後も地域に駐留し続けのさばっている存在です。起点は朝鮮戦争にあります。
駐韓米軍、在沖米軍をふくめ、アジア太平洋に展開している10万人の米軍の部隊はアジアから撤収すべきです。それを求めていくときの一つの手がかりとして、どういう経緯で彼らがアジアに来たのかを訴えたいと思います。
運動への希望
裁かれざる戦争犯罪を裁くこと
「解説」に「それでも民衆の運動が存在していることは希望である」
と最後に書きました。
書ける枚数が少なくて国際女性戦犯法廷のことだけしか書けなかったのですが。皆さんは12月VAWW−NETで主催して開かれようとしているこの法廷のことはご存知でしょう
か? これは日本軍性奴隷制度閉居を裁く民衆法廷です。1990年代を通して被害当事者たちの告発があり、国連人権委員会や国際労働機構や国際法律家協会や北京女性大会や‥・様々な世界の場でこの問題が大きく取り上げられて、そして日本政跡に対して国際社会からは被害者に対する国家責任による個人補償が求められてきました。そのように国際的には日本政府対する批判や補償要求があるのに、日本政府の側は非常に無責任の態度をとり続けています。1995年に「アジア女性のための平和国民基金」、いわゆる「国民基金」を政府が事務費を負担する、民間から人々を動員するという形で発足させましたが、つまりは国家賠償を拒否し、代わりに民間からの募金で被害を訴えているおばあさんたちにお金を渡す、という主旨なんです。
これに対して被害者と支援団体の多くは「私たちはお金をほしいと物乞いをしたのではない」、「女性に対する暴力という重大な犯罪に対して謝罪・国家賠償・責任者処罰を求めているのだ」と抗議しています。いろんな意味でこの国民基金は問題があるのですが、日本政府はそういう形でしか今日に至るまで対応していない。そして被害者たちが提訴した裁判が次々に不当判決を受けて、敗訴しています。そういうなかで計画されこの12月に実際開かれよぅとしているのが、国際女性戦犯法廷なんです。民衆法廷ですから拘束力はないですが、告発されるべき戦争犯罪を公に告発するこういう試みが国際的な民衆の努力で実現することに大きな意義があると思います。
この法廷は、ベトナム戦争の最中に開かれたラッセル法廷という民衆法廷を参考にして計画されたものなのです。ラッセル法廷はいかにアメリカ帝国主義がベトナムを侵略し人々を悲惨な日に遭わせたか、その犯罪性を厳しく告発して有罪を宣告して、ベトナム反戦運動に大きな影響を与えました。それを参考にして開かれようとしているのが12月の戦犯法廷です。
この法廷に是非注目していただきたいと思います。
さて、朝鮮戦争下の「国連軍の犯罪」を、当時の国際NGOは「重大な戦争犯罪であり、国際法にことごとく違反しているジェノサイド・民族絶滅作戦だ」と報告しています。「世
界民衆の法廷に責任者を告発して処罰すべき重大な罪である」と宣言していたわけです。しかしその宣言が実際に具体化され、朝鮮戦争の犯罪が裁かれたでしょうか。逆であり、そのときの戦争の構造が今日に尚生きているわけです。 この六月の南北の頂上会談以降情勢が激動していますが、大きな枠組みとして朝鮮戦争は依然として決着していないし、日米韓の軍事的な結合が北朝鮮を包囲している現実も代わりません。
さっきも話した北朝鮮脅威論言、これは本当にたわごとであって、一体日米韓の軍事同盟によって北朝鮮を包囲してきた半世紀以上の間どれだけ大きなたくさんのミサイル核兵器が北朝鮮に射程を向けてきたか。その脅威脅迫の中で北朝鮮は国作りをしてきたわけであって私は金日成体制、金正日体制を支持しているわけではないんですが、しかしそのような目にあわせてきた日本の側ア刈カの側の犯罪性には確倍があります。戦争犯罪が戦争犯罪として裁かれるどころか逆に戦争犯罪が積み重ねられているその構造を温存したまま日米韓の軍事同盟はますます増強させられてきたこの半世紀なのです。そして今私たちはここにいるわけです。
旧日本軍の戦争犯罪とべトナム戦争におけるアメリカ軍の犯罪のちょうど時代的に真ん中にはいるんですね、朝鮮戦争というのは。谷間をなしているというか人々の目に付いていない、べトナム戦争はべトナムの勝利で終わりました。旧日本軍の犯罪というのは日本の敗戦で終わりました。けれども朝鮮戦争はまだハッキリと終わっていない。谷間というのはタダの陥没だというのではなくて実はそこにこそ戦後日本の土台、今現在私たちが生きている土台が築かれている。だから私はこの戦争犯罪という問題に関してラッセル法廷に続いて女性法廷が開かれていくそしてそれはもっと前進していってほしい、つまぬ朝鮮戦争における国連軍の犯罪という裁かれざる戦争が、やはり世界民衆の名において裁かれる日を用意しなければならないそういう思いがあるわけです。
国際シンポジューム「東アジアの冷戦と国家テロリズム」
運動的な希望という意味で、後二つ言いたいことがあります。一つは、この数カ年、「東アジアの冷戦と国家テロリズム」を問う国際シンポに参加しています。これはさっき話していた脈絡で言えば「小さい戦争」から「大きい戦争」にかけて時代、アジア民衆がアメリカ帝国主義の支配、あるいは自国の反動政権に対する抵抗闘争を繰り広げていて何万何十万と犠牲になっているのですが、冷戦下ずっとタブーにされてきて隠されたり歪曲されてきたその歴史を検証していくという趣旨のシンポです。台北、済州島、沖縄、光州と四回重ねてきました。2002年には朝鮮戦争50周年・日米安保とサンフランシスコ講話条約発効50周年ということで、大阪で第五回のシンポをやりたいと思っているんです。
皆さんにも是非注目とご協力をお願いします。
米軍撤退を求めるアジア共同署名
もう一つがAWC(アジア共同行動)で呼びかけている署名です。AWCは1992年に14ケ国集まって国際会議を開きまして、それをきっかけに立ち上げた国際的な反戦反帝国主義のネットワークです。92年は、自衛隊の海外派兵を合法化するPKO法が成立した年です。これに対する強い危機感から自衛隊海外派兵反対、また日米の軍事同盟=日米安保条約反対という主旨でアジア民衆の国際会議が開催され、互いに連携して運動を進めていこうと恒常的な連絡組織を作っていったわけです。それがAWCですが、日本、台湾、韓国、フィリピン、インドネシアのAWC参加団体共同の呼びかけで、最近、アジアで共同署名を集めようとしているのです。要点は米軍十万人体制に反対、新ガイドライン安保をはじめとする軍事同盟の廃棄、米軍のアジア太平洋からの総撤収。フィリピンのYTA(米軍一時駐留協定)など、基地を撤去しても自由に米軍が出入りしているという状況があります。そういうこともやまるように、と。その三点なんですが、大きな署名キャンペーンになるよう願っています。
質問 ストックホルムアピールについて少し詳しく教えて下さい
1950年の3月に呼びかけられます。冷戦の危機というのは一番勅裁なイメージとしては核戦争の危機というイメージでした。今度、核戦争が起きたら人類は滅亡する。そういう意味で1950年3月アピールがでたわけですが、これがでた直後6月25日に朝鮮戦争勃発となり、アメリカ大統領が原爆を朝鮮半島で使うと発言するや否や、その危機感が世界中に伝わり凄い勢いで広まったわけです。質問 朝鮮有事の有事ってなんですか 朝鮮有事の有事という言葉ほどむかつく言葉はないわけで、有事って何のことかわからないが、つまりは朝鮮戦争のことなんです。朝鮮戦争というと国民がおそれをなして反対するから朝鮮有事というわけです。あるいは戦争に向けた国家総動員体制というと国民はいやな感じがするから有事に向けた危機管理っていうわけです。すごく。えん曲に言っているだけで言われてきた実態は朝鮮戦争です。
質問
三つの報告はそれぞれどのような特徴があるのかということとそれと特に今日の民衆情勢からみた朝鮮戦争ということで女性調査団にどんな特徴がありますか
三つの報告を特色つけるとしたらどうつけられるかと言えば、女性調査団は先陣を切ったという位置があります。だからそのぶんある意味では素人っぽいというか何にも実態のわからない西側の人もめて全世界の何の関係もない地域から来た人たちが、初めてその現場に到着して自分の目で見、自分の足で歩いて感じたことを書いているんです。だから爆撃の問題にしても避難民の問題にしても、性暴力の問題にしても見たまま聞いたまま印象に残ったことが書いてある感じで、ある意味では一番読みやすいのではないでしょうか。
それに対して二番目の法律家協会調査団はやはり法律家の視点で書くという目的意識がハッキリあったんです。つまり女性調査団の人たちは現地に行って見てこれはあまりにもひどい、国際法違反ではないかと感じたこと考えたことを報告書にそのまま書きました。国際法律家協会はこの国際女性調査団の報告書にインパクトを受けてこれが本当だとしたらたいへんである、専門的な視点からどの国際法にどういう意味で抵触しているかこれを検証する必要があるということで派遣されたわけです。ハーグ条約、ジュネーブ協定、ジェノサイド禁止条約そういう法律に照らし合わせて何がどう抵触しているかレポートにしているんです。
科学者の報告書はさっき言ったような細菌戦に焦点の練られた特徴の説明になると思う。
ジェンダー、女性の視点から
国際女性調査団のところで実は話したかった領域が一つすっぼり抜けていましたので補足します。ジェンダーの問題であるとか女性の視点の問題であるわけです。性暴力に関する事実報告は国際法律家協会のにもありますし、そういう意味では国際女性調査団だけの報告ではないのですが、この間題というのは独自にも扱って本当はいい問題だと私は思っています。先ほど国際戦犯法廷との関係で言いました日本軍慰安婦制度=日本軍による性奴隷制度、これが第二次世界大戦後再編成されていった。
世間一般で言われてきたのはアメリカは日本を占領して民主化したと、五大改革指令が出してその第一に掲げられたのが女性の解放だったわけです。婦人参政権もその一つですけれど廃娼令=公娼制度廃止令ですけどこれもだしているんです。だから非常に解放軍としてのイメージが女性の解放の意味でもあるわけです。だけれどもそれはハツキリ言ってものの一面であってその裏面では実態は逆だったと私は思っています。特にこの公娼制度廃止ですが、これはペテンもいいところであって公娼制度廃止として実際おこなわれたことは、明治時代につくられた公娼の取締規則この法律を撤廃しただけなんです。代わりに違う新しい法律ができて呼び方が変わっただけなんです。今まで遊郭と呼んでいたものを特殊飲食店街と呼ぶ、今まで娼妓と呼んでいた公娼を接待婦と呼ぶことにする。実際に変わった変化と言えばそういうことであって、女性の生きていくすべが奪われている実態がそういう人肉市場に売り飛ばされるという構造であったり、あるいは日常的に業主や客の暴力を浴びるという構造であったり売春法を集めた地区があって彼女たちが常に警察の監視に晒されている状況であるとか、本来の意味の公娼制度というのは何も撤廃されていないんです。更にアメリカは古い制度を温存しただけではなくて自分用に新しい制度にこれを再編成しているわけです。
性病検診は米軍用に非常に徹底しておこなわれていくようになります。例えば街頭からさえも女性たちがたくさん連行されて行きます。日本の女性たちは敗戦後の混乱の中で飢餓や失業のたいへん生活の苦しい一時代に、米兵相手に売春することによって生計を立てる女性というのは少なからずいました。いわゆる街娼です、「パンパン」とか呼び方もされましたがそう言う米兵相手の売春婦が居たことは事実です。米軍側は何をしたか米兵に女性と遊ぶあるいは女性の性を札びらでほっぺたをたたいて買うあるいは強姦する、こういう米軍の側の男性の性的欲望についてこれは思う様満たしなさいこれが基調です。
その上でしかし性病にかからせていけない、そこで日本女性を取り締まったわけです。街頭をただ歩いていただけの女性、街角に立っていただけの女性さえもMPが軍用トラックで乗り付けて、街行く女性たちを片っ端からつかんで連行していく、そういった出来事が何万件と占領期に繰り広げられます。この根拠はただ一つもしかしたらこの女は売春婦かもしれない、そのようにMPが疑ったかどうかこれが基準です。
ですから女子学生でも主婦でも勤め人の女性でもお構いなしに売春婦だと疑えばつれていく、そもそも売春婦だったとしてそれがなぜ強制連行されなければいけないのか、これ自体非常に大きな人権侵害だと思いますが更に売春とは無縁に生活してきた少女たちや関係のない人々も含めて彼らは、手当たり次第ひっつかまえてつれていって強制検診を受けさせるという暴挙をやっています。検診というとどんなことか簡単には想像つかないかもしれませんが、つまりはこのような施設が用意されていてテーブルが並べられていて20人30人と連行されてきた女性たちが連れてこられるわけです。
無理矢理に服を脱がされ下半身を裸にするわけです。足を聞かせた状態で並べるわけです。米軍医と称する医者が股間をのぞき込んでチェックするわけです。ただれていないか性病に感染していないかそれを検診するというわけです。医者だけでなくてそこにはMPの一般の軍人たちも興味深く見守っているわけです。
日本の警察官も挑しろ半分にそれを眺めている。非常にこれ自体が性暴力の場であったわけです。ハッキリいってそう言うところに連れて行かれたが故に衝撃を受けて、どうしていいかわからなくなってショックの挙げ句にそのときに知り合った優しいお姉さんと一緒に街に立つようになった、そういうケースというのは決して少なくないわけです。
その場で帰されるわけではなくて性病にかかっていると発覚すれば強制入院されるわけです。長い期間そこに閉じこめられて治療を強制されるわけです治療代は本人持ちです。その場含もしそれが夫によって紙ばっかりしている夫がどこからか性病をもらってきて彼女に移った、そういう主婦だとしても性病にかかっているおまえは売春婦だろう米兵に移すかもしれないからとんでもないことだと監禁されて治療を強制されるわけです。それと同じように女子学生であれなんであれレイプされたことがあって性病を移された人であれ、どんな理由で感染したとしてもおまえは売春婦だろうとこういう扱いで女性たちはみんな監禁されているわけです。
そもそも公娼制度というのはこういう性格を持ってきたもので、19世紀のヨーロッパのフランスでは売春婦を集めた監獄があるんですけどもそこは売春婦の新兵補充のリクルートの場なのだとよく言われたんですけども構造は皆同じです。男性の都合、警察権力の都合で女性たちを引っ張ってきて売春婦だということで暴力を振るって新しい売春女性を増やしていくこういう構造です。
娼婦を集めた地区の公娼制度についてもこれは徹底強化されていくわけで、管理統制が厳しくなりますしまた、米軍基地周辺では今までなかったようなタイプの性暴力(招集地区)がつくられていきます。アメリカは公婦制度を廃止したわけではなくて公娼制度を日本流のものから自分にとって都合のいいアメリカ流のものにと改変したと私は理解しています。本土日本におけることでこの当時女性のレイプ被害が毎年約3万件ぐらいだろうとの推定が当時ジャーナリストにはなされています。
公娼制度と同時にレイプ犯罪が莫大に起こっています。やはりピークをなしているのは朝鮮戦争の最中です。後方基地であった本土においてさえこうです。先ほど北朝鮮の状況については述べました。本質同じことが南朝鮮でも沖縄でも起こってます。南朝鮮では基地村と言われている売春街があるんだそうですが、そういった基地村、米軍相手の売春女性がたくさん集まってくる場というのはどうやってどういう経緯でつくられたかやはり朝鮮戦争の時に本格的につくられています。
だから地域は北朝鮮だったり、南朝鮮だったり、沖縄だったり、本土だったりしますが、やはり非常に普遍性のある体験として米軍の性暴力被害ということを当時の女性は受けているということを感じます。そしてまたそのときに作られた制度が形を変えて今日に続いているということがあります。レイプ犯罪が今日に尚引き続いているということもあります。性暴力の視点で問題をとらえるということが抜けていたので補足させてもらいました。
参加者から居住している基地周辺を調査したいという発言をうけて
2002年冷戦シンポのプレイベントの意味も込めて、いうアプローチでもいいし、平和運動というアプローチでもいいしアプローチはいろいろあってもいいんですが、具体的にその地域で米軍基地にかかわっている女性たちが全国交流集会というかシンポジュームみたいなものをやれたらいいな思っています。私自身伊丹基地がわりと近くで伊丹の周辺には売春街が当時あって大きな問題にされていました。奈良にはRR右ンターという朝鮮戦争の時の慰安婦施設がありました。凄い規模の反対運動で結局移転させています。静岡には平井和子さんという、駐留米軍のことを研究している女性史研究者がいたり、あちこちでぼつぼつ研究がでてきています。京都洛南の女性史研もその一つで他にもいっぱいあると思います。それらを持ち寄る場、交流する揚ができたらいいなと思います。そう思う一つの理由としては沖縄の問題ではなくて本土の問題であって、沖縄の問題ではなくて日本の問題であって本土の人間の問題でもあるはずだと。そのとき本土にだって基地はあるわけで、ただそれを気が付かずにいる、足下にあっても気付かないでいるそういうことが実際だと思うわけです。だから決して本土に基地がないわけでも矛盾がないわけでもない、本土のアイデンティティというのか単に人の問題をお気の毒だから解決してあげるというのではなくて私たちの足下の間瀬として取り組んでいくような視点が大事なのではと思っています。