【読書案内】名著の影に名編集者
『わたしの戦後出版史』
松本昌次著
「名著の影に、名編集者あり」とよく言われる。編集者は〈影〉なのだから、光が当たれば消えてしまう――わけではない。彼/彼女らは生身の人間だからだ。しかし、作者を支え、叱咤激励して、その才能を引きだすのは、やはり〈影〉として活動だといえよう。とはいえ、編集者の仕事はまず、この著者の作品を出版したいという〈惚れ込み〉から始まる――のだろう。
満八十歳、編集者生活五十五年で、いまなお現役編集者である著者、松本昌次氏の「戦後出版史」は、実にくっきりとした航跡を描いている。その原点には、皇国少年であったという〈恥〉があり、隣国の朝鮮戦争――日本の基地から米軍の爆撃機が出撃するという――の〈衝撃〉がある。ここを起点に、同時代の日本人の文学・思想関係の本、朝鮮関係の本、在日朝鮮人の作品、演劇関連、「底辺」関連の出版がなされる。
「心をかけた著者と仕事をすることは、その著者とともに時代を変革する運動にみずからもかかわることなんです」
そして、松本氏は著者に惚れまくる。「『ああ、この人だ!』とすっかり惚れ込んじゃったんです」とは、何度も本書に出てくるフレーズだ。思えばいま、著者に惚れた編集者の企画を、「君がそれほど言うなら」と受けてくれる出版人は、ほとんどいないだろう。その意味で、松本氏の眼力を信じた、未来社の西谷能雄社長も稀有(けう)の出版人だったといえる。
こうして、丸山眞男、埴谷雄高、花田清輝、竹内好、木下順二、藤田省三……。アジア・太平洋戦争後の日本語出版を飾る名著が世に出された。
本書の特色と魅力は、聞き書きをベースにしているため――もちろん、著者によって厳密に手入れがなされているのだが――、じつに読みやすく、戦後の出版、文化、知識人、作家、作品について、的確な評価と批評とともに鳥瞰(ちょうかん)できることだろう。そして、すでに故人となってしまった、個性豊かな人びとの交流の濃密さに、驚かされもする。そうして、本書で知る知識人や作家、作品の魅力にひかれ、課題図書が何冊も見つかるのだ。さらに、貴重な図版が二百三十点もあり、それをたどる楽しみも大きい。
現在の出版状況に対する厳しい批判として松本氏は、「人を押しのけて何かをやるより前に、こういうことはしない、こういうものは出版しない、と決心することが大事」だという。「出版人は出版という仕事を、無前提にいかにも善いことをやっていると思いこんでいる」とは、本を購入する側のわれわれも、胸に刻んでおきたい言葉だ。
松本氏は一九五三年に未来社に入社、編集長を長年勤め退社後、八三年に自身の会社を起こし、現在にいたる。「名著の影に、名編集者あり」だ。して社名は、〈影書房〉である。(トランスビュー・2800円+税)
(黄英治)