民族時報 第1135号(08.05.01)


【講演】民族の未来を育てる/和解と信頼こそ基礎

    支援媒介の統一運動 パン工場事業の経験

 孫美姫(北側オリニ栄養パン工場事業本部副本部長)

 かつて統一運動とは、それをすれば監獄に行き、催涙弾にむせて弾圧を受けなければならない、そんな運動だった。しかし、六・一五時代になると、多くの人々とともに、面白くて楽しい統一運動として、支援を媒介にした交流協力事業が行われるようになった。わたしは、そうした事業のうち、「わが民族ひとつに 運動本部」(わが民族ひとつに)の「北側オリニ(子ども)栄養パン工場事業」(パン工場事業)を中心に話していくことにする。

 韓国には約六十の対北協力民間支援団体があり、統一部に登録して支援事業をしているが、「わが民族ひとつに」もそれに含まれる。支援団体の大部分は人道主義的団体だが、「わが民族ひとつに」は、単純な支援の次元ではなく、交流・協力・支援を媒介とした六・一五時代に見合う統一運動団体だ。

 六・一五共同宣言以後、民間次元の交流が活発になった。南の労働者が作った運動靴を北の労働者に送る。南の米を北に送って、わが民族がともにお腹いっぱい食べられる統一農業をめざすといった支援事業だ。農民の場合、初めは単純にコメを送っていたが、食べたら終わりではなく、さらに根本的な問題として増産のため肥料を送り、次には苗代の保温用のビニールを送る事業へと発展してきた。それが「わが民族ひとつに」の運動方式だ。

 「わが民族ひとつに」で最初に取り組んだ事業がパン工場事業だった。事業を構想した当初、金もない女性団体が北にパン工場を建てるなんて、まともじゃないと心配された。しかし、パン工場事業を始めて、「約束は守る」ことを実行し、南北の信頼が構築された。パン工場事業を見習って、地域ごと、階層ごとに事業をつくりだした。パン工場事業は「わが民族ひとつに」にとって、大きな意味を持っているといえる。

 支援を媒介とした統一運動事業は、現在八地域本部、八事業本部がある。光州・全南地域は統一のコメ送り運動、大田・忠南は教科書用の紙送り運動と、洪水被害の根本的解決のため北側での植樹運動を行っている。釜山は金日成総合大学内に抗生物質工場建設を進めている。また、釜山市当局と協力して、ピョンヤンに肉類加工工場の建設も推進中だ。教育庁、市庁、郡庁など行政当局とともに行う事業も相当多い。うどん工場、歯科病院、養豚場など、さまざまな工場事業を展開しているが、実際には、こうした事業がそれほど北側の役に立つとは思わない。六・一五共同宣言以後の統一運動は、支援運動を通した信頼づくりと和解が重要だ。

 パン工場事業の先頭には反米女性会が立った。「わが民族ひとつに」の女性委員長を引き受けた李美恵会長が、女性にはどんな北側支援事業ができるかを悩んだ末に、わが民族の未来である南北の子どもたちを、この地のオモニ(母さん)が立派に育てる統一運動事業をやってみようと考えたのが、ことの始まりだった。

 北側にとってある程度の物質的な支援となり、そして互いの信頼関係が構築されるという六・一五時代に見合う統一運動を、大衆的に行おうということが出発点となった。

 最初は自転車を送ることを考えたが、食糧事情が厳しいという状況からパンを選択した。 機械三億ウォン、パンの材料一か月に三千万ウォンが必要だった。資金をつくる事業は、反米女性会の会員八百人が、ひとり五人を組織するという形で始めた。金がある人には運営理事などの役職をあたえて多額の資金を集めた。国会議員も三十人ほどが参加し、国会で権威ある事業と認識された。

 当初、土地を提供してくれればわたしたちが工場と材料も全部準備するといったが、北側は三階建ての工場をつくってくれた。大同江オリニパン工場だ。南側からは熱心に資金を集めて機械と材料を送った。二〇〇五年五月に初めてパン工場を訪問、国際児童デーの行事にも参加して、北側の子どもたちと楽しい時間を過ごした。いまは一日二万個のパンを製造している。

 何よりも意味があるのは、南側から北側とともにする統一運動としてこの事業が始まり、それが日本でも事業本部が結成されたことだ。北側オリニ栄養パンが、南北海外の新たな関係をつくっていく触媒になったことだ。

 数年前、民主女性会の会員をはじめとする同志らに会い、これがきっかけとなって、ついに女性を中心にした新たな統一事業がつくられたことが本当にうれしい。パンは単純に食べるパンでない。「パンは統一だ」。 統一の道を、みなさんとともに歩んでいけることを心から喜んでいる。


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