民族時報 第1132号(08.03.15)


【読書案内】もうひとつの戦後史

    『夢のゆくえ』

 磯貝治良

 いささか穏当ではないかも知れないが、〈在日朝鮮人文学論の磯貝治良〉は、よく知られていても、〈小説家、磯貝治良〉は、あまり知られていない、といえるのではないか。

 一九七九年に上梓された『始原の光―在日朝鮮人文学論』(創樹社)から最近の『〈在日〉文学論』(新幹社)。後者で提示された「在日朝鮮人文学から〈在日文学〉への変容と移行」という批評の言葉と方法は、いまや日本のみならず、韓国の日本語文学研究者にとっても、大きく動かしがたい里程標になっている。ところで、磯貝はこの「変容と移行」を、彼の文学観に照らして、手放しで歓迎すべきものとしているのではない。

 そこで磯貝は、実作者として、「小説という言葉表現が、現代のアクチュアルな状況にいかに対抗できるか?」(本書あとがき)との問いへの回答を、作品に昇華し続けることになる。過去の作品もあわせていえることは、磯貝が実に巧みでしたたかな小説書きであるということだ。〈小説家、磯貝治良〉はもっと広く読まれ、知られるべきなのだ。

 さてそこで『夢のゆくえ』だが、ここには三十五年のスパンで書かれた短編小説が六篇収録されている。それぞれに秀作、問題作だ。

 冒頭に配置された「テハギは旅人のまま――」。柳泰鶴=テハギは在日二世の青年。彼は〈自分〉を探しもとめて、マダン劇のグループ、在日青年の政治組織、韓国へと旅を続ける。父との、日本人との、同胞との激しい葛藤があり、日本人、同胞女性との性愛が深淵をなす苦悩がある。そして、言葉―日本語の檻(おり)に囚われ、ウリマルの壁に跳ね返される。だからこそ、テハギは旅を続けるしかない。彼は、生きているものが決していけない、あたらしい旅のフィールドへ先行していった――。しかし物語は、個に閉そくしない。宙に浮いていない。人びとに問いを発し、韓国と日本・在日の現代史と不可分に結びつけられている。

 この作品はある意味、磯貝が「〈在日〉文学」は、「〈私〉と〈ひと〉の関係性をキーワードに文学的アイデンティティが仕掛けられている」と指摘したことに対して、実作によって自身の立場を批判的に示した作品と読める。同時に、わたしにとっては、テハギと瓜二つの懐かしい友人との再会だったし、在日朝鮮人運動への鋭い批評をうけとることができたのだった。

 「弾のゆくえ」は第十九回中部ペンクラブ文学賞受賞作品で、あの世とこの世を往還する叙述の方法、自衛隊の海外派兵と在日朝鮮人問題をシンクロさせた主題ともに、磯貝作品で最高傑作のひとつに数えられるもの。「流民伝」は、その緊張感にあふれた文体とともに、「連続射殺魔」の時代が、鮮やかに浮かびあがる。

(黄英治)

(発行 影書房、二千五百円+税)


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