民族時報 第1126号(07.12.01)


【参加記1】

    わが故郷は温かく厳しく

 申孝信(仙台在住)

 済州島はわたしのコヒャン(故郷)である。五年前に八十四歳で亡くなったアボジ(父)が、いつだったかわたしに語ったことがあった。

 「自分が生まれ育ったこの島では、六十年程前に『四・三済州島蜂起』があり、数え切れない島民が殺された。それで帰島を断念した」

 そんな記憶があるわたしにとって、済州島は複雑な思いを抱かせるコヒャンでもある。

 韓青活動をしていた三十数年前、手書きの小さな機関紙の名前を「漢拏山(ハルラサン)」としたのも、そんな想いからだった。いつかコヒャンの済州島を訪れたいと思いながら、いつしかわたしも五十代後半の齢(よわい)を数えるようになってしまった。今回、済州島で行う研修会に誘われたとき、うれしさ半分、戸惑い半分だったのが正直なところだった。

 十一月十七日、二十人の同志らと初めて降り立った済州島の光景は、どこか懐かしく、わたしの肺腑(ふ)に流れ込む大気は、甘く切ない味がした。四・三平和公園の訪問では、いわれなき虐殺の犠牲になった一万五千を超える島民一人一人の名前に頭を垂れた。そして、ここに祭られているのと同じくらいの犠牲者が、六十年もの長い歳月を経たいまも埋もれたままになっていることを知り、深い悲しみを覚えざるをえなかった。

 翌十八日、吹雪の漢拏山登山では、「不条理な死」から逃れるために冬山に入山せざるをえなかった済州島民の苦難の千分の一にも足りない体験をした。最終日の十九日に訪れた四・三民衆抗争に対する弾圧、虐殺現場のひとつである大静邑の「百祖一孫の地」は、まさにわたしのアボジが子どものころ遊び暮らしたコヒャンではないか。風が、木立が、そして石ころの一つ一つから、わが一族の恨がわたしの耳に聞こえてくるようだ。

 「逃げるな!向き合え!」と。

 「やっと来たかと故郷が、両手広げて微笑んで……」

 新井英一が歌う「清河への道」にこんな一節があったように思う。わがコヒャン、済州島は確かに「両手を広げて微笑んで」くれた。そして、それと同時にとてつもない大きな宿題をもわたしに与えてくれたようだ。

 

 雪風の 耽羅の山に身を晒(さら)し

 想い偲ばる 島民(しまたみ)の恨(ハン)


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