【読書案内】「慰安婦」に捧げる作品
『野の荊棘』
石田甚太郎著
物語は、日本中が飢えていた闇市の時代、東京・三河島で起こった殺人事件を縦糸にしてつむがれる。死んだのは復員兵で、闇商売で糊口をしのぐ山田勇。容疑者として逮捕されたのは、彼と同棲していた元日本軍「慰安婦」の金順伊だった。二人は、帝国・日本と植民地・朝鮮、戦争と軍隊、前線と後方、兵士と「慰安婦」、侵略と敗走、そして男と女――という重層的な関係を生き、勇の悲喜劇的な死によって、順伊は彼から謝罪も償いもないまま、だから、和解もせず、決別することになった。
先へと急ぐ心のままにページを繰ると、さまざまな面影が浮かびあがる。「慰安婦」被害を初めて公開の場で話して〈証言の時代〉を開いた故金学順ハルモニ(おばあさん)。カーキ色の日本軍服を着た男に誘拐されるさまを衝撃的に描いた故金順徳ハルモニ。「オレの心は負けていない」と日本政府に謝罪と補償を求めて闘い続ける在日の宋神道ハルモニ。あるいは、証言集会でお会いした、写真を通じて記憶した、それもすでに後世(ごせ)への無念の旅へ出発された多くの元「慰安婦」ハルモニのお顔が、浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。
順伊が受ける屈辱、差別、苦痛が、ハルモニたちの姿と重なる。それでも順伊がこの不条理に反抗し、自尊をかけて闘い、知恵をしぼって仲間を励まし、希望をすてずに歩みだす勇気、凛(りん)とした姿が、もっともっと、あのハルモニたちの姿となって、胸に去来するのだ。それだけではない。この物語のなかで、名もなく死んでいった数多くの朝鮮人「慰安婦」たち、実際には数十万人の彼女たちの無念が、津波のように押し寄せてくる。
『野の荊棘』の物語は、ハルモニたちの証言や手記、聞き書きなどを通して、すでに〈知っていること〉ではある。しかし、八十五歳の日本人作家、石田甚太郎は、「日本軍によって性奴隷にされた朝鮮半島の女性たちに捧げる」小説を、書かずにはいられなかったのだ。作家の願いは、悲しみに傷ついた心を慰め、新たに始める力をあたえるという、芸術の仕事=原理にかなった作品として結晶した。ひとつの金字塔である。
しかし、だが、きっと、日本政府に謝罪と補償を求めて毎週水曜日、ソウルの駐韓日本大使館前で集会を開いている元「慰安婦」ハルモニたちが『野の荊棘』を読んだら、こう言うだろう。
「こんなもんじゃなかったよ」
だからこそ、私たちは『野の荊棘』を、自分の物語として、読むのが辛く、心が重くなろうとも、深く、広く想像力を働かせて、読まなければならないのである。
(英)
(発行 スペース伽耶、二千円+税)