【主張】
真の「光復」は祖国の自主統一
一九四五年八月十五日、日本の植民地支配から解放され祖国が主権を回復したことを記念して、この日を南では光復節と呼び、北では解放記念日としている。
一九〇五年の乙巳保護条約によって実質的な植民地支配が始まり、実に四十年にわたって日本帝国主義(日帝)による過酷な統治が続けられた。しかし、日帝の植民地支配からの解放は同時に、分断というあらたな苦難と悲劇の幕開けでもあった。
分断はもはや半世紀を超え、今年六十二年目を迎える。日帝支配の苦難に満ちた歳月をはるかにしのぐ時間が流れたのである。
日帝支配からの解放を記念するこの日、「八・一五」は本来、祖国の自主権の重大さを再認識し、独立祖国の繁栄と発展を祈念する日であるべきだった。
しかし、「八・一五」この日は、いまだに分断されている現実を民族的恥辱として胸に刻みながら、南北海外同胞の民族的な団結によって祖国の自主統一を実現する、そうした決意を新たにする日となってきた。
その意味で、分断半世紀となる一九九五年の光復節五十周年は、統一運動を飛躍的に高める歴史的な契機となった。
以降、植民地支配と分断の苦難に満ちた二十世紀に終止符を打つために、自主統一運動は持続的に展開され、ついに二〇〇〇年六月、六・一五共同宣言が発表されたのである。こうして二十一世紀は、共同宣言を着実に実践して自主統一を実現する、輝かしい「六・一五時代」として始まることになった。
六・一五時代を迎えた現在、「八・一五」がもつ意味は何であろうか。
著名な歴史家E・H・カーは、「歴史とは何か」と題した講演で、「歴史は、現在と過去との対話である」と繰り返し述べている。
歴史的な発展過程である現在を生きるわれわれが、過去を主体的にとらえかえすことによって、未来への展望はいっそう明らかになるだろう。
こうした立場で「八・一五」を検証してみると、「八・一五」は「日帝による植民地支配が終わり、分断が始まった起点」であり、さらに構造的にとらえるならば、帝国主義支配は「八・一五」で決して「断絶」されたのでなく、日本から米国へと姿と形を変えて「継続」されたということがわかる。
一九〇五年の「桂・タフト密約」によって、米国は日本の朝鮮支配を認め、日本の降伏に際しても、日本が最後までこだわった「国体の護持」、すなわち、天皇を中心とした統治体制の正当性と存続を、あいまいな形であれ米国が認めたうえで、日本の戦後は始まっている。
米国は、日帝の朝鮮支配を認め、降伏に際しても、日帝の朝鮮植民地支配を合理化したのだ。
また、われわれが「八・一五」で胸に刻むべきことは、「光復」を目指して闘った先烈たちの愛国精神であり、彼らの尊い闘争精神を継承発展させる決意を新たにすることである。
いまや、「抗日独立」運動は「自主統一」運動へと継承発展され、愛国烈士たちの闘争精神は、六・一五時代を推進する自主と民族大団結の「わが民族同士」の精神へと継承されている。必ずや自主統一を実現し、一世紀にわたる帝国主義の支配に終止符を打って、「真の光復」を勝ちとらなければならない。
「八・一五」は、「未完の光復」であり、真の光復、すなわち、自主統一をかちとるために、すべての南北海外同胞が決意を新たにすべきである。