【参加記@】初めてのピョンヤン/たくさんの思い出胸に
統一への道は、出会いの道
金麻紀(韓青大阪府本部組織部長)
六・一五民族統一大祝典に参加するため、初めて北部祖国を訪れた。学生時代、学生協代表として民族統一大祝典に参加する決意をしたものの、両親の強い反対で行けなかった北部祖国だった。一昨年、昨年と韓青代表として代表団に選ばれながらも、大会中止や代表団の規模縮小で、やはり行くことはかなわなかった。直接行って、見て、感じたかった北部祖国の香り、生活の様子、人の情。
今年もまた何か起きて行けなくなるのではないかと、直前までビクビクしていたが、とうとう念願の訪北を果たすことができた。しかし、今回の問題は到着してからだった。
開幕式の翌日、本行事の民族団結大会の会場である人民文化宮殿に入り、ピョンヤン市民の歓迎の拍手のなか席についた南北、海外側代表団は大会の開始を待っていた。しかし、一時間たっても、二時間たっても委員長団らひな壇の代表が入場してこない。しびれを切らした南側代表団が席を立ち、続いて海外側代表団も会場の外に出てみると、ハンナラ党議員のひな壇登壇問題で大会が延期されているとのことだった。南側代表団のなかで意見が分かれ、紛糾していた。部門別、地域別の協議が行われ、共同委員長団の会議も開かれたが、民族団結大会は当日も翌日も開かれなかった。
しかし、「今回の民族統一大祝典を必ず成功させよう」という代表団みんなの気持ちの方が大きかった。本大会は南側代表団が帰る日の朝に、閉幕式と合わせて行われた。南側代表団が乗る飛行機の出発を一時間遅らせてまでも、わたしたちは大会をやり遂げ、「わが民族同士の力で統一をなし遂げよう」と確認しあった。
半世紀以上ものあいだ分断体制のもとで生きてきたわたしたちにとって、統一の道は決して平坦ではなく、さまざまな障害物が待ち受けていることを実感した。しかし、二日の延期の末に開かれた民族団結大会が、わたしたちにより大きな感激をもたらしたように、障害物を一つ一つ乗り越え、産みの苦しみを経験した後の統一は、何よりも感激的で、何よりも素晴らしいものに違いない。
北側主催の歓迎宴会で同じテーブルになった仏教団体の南側代表に「ピョンヤンは何度目か」とたずねたら、「二十回目だ」との返事が返ってきた。九〇年代に始まった汎民族大会に集約される南北海外三者連帯事業は、国家保安法による弾圧と反統一勢力による妨害で、南側代表は一人か二人しか参加できなかった。その上、その代表らが南側に帰った瞬間に逮捕されていた時代を考えると、三百人もの南側代表が北側を訪れ、訪北二十回目の南側代表が北側代表と「久しぶり」と言葉を交わす光景を見ると、確実に朝鮮半島は統一への道を力強く前進していると実感した。そして、「統一へ向かう道は出会いの道」なのだと悟った。わたしたちは出会わなければならない。直接対話をしなければならない。出会い、対話をし、喜怒哀楽をともにすることを通じて、統一は近づいてくる。
五月十七日、南北を結ぶ鉄道の京義線と東海線で試運転が行われた。その列車に乗って南北を往来する日が必ず来るだろう。南北海外が出会うその統一への道にわたしたち在日同胞も乗り遅れてはいけない。
わたしの初めての訪北は喜怒哀楽の一週間だった。北部祖国を訪れることができたという喜び、ハンナラ党が大祝典をかき回したことに対する怒り、大会が延期され、待機している間、何もできない自分のもどかしさ。北側に住む親戚と、二十六歳にして初めて会った離散家族の哀しみ。そして、北部祖国で出会った人びとと過ごした時間の楽しさ。たった一週間でわたしはたくさんの感情を抱き、自分を深めることができた、そんな気がする。