民族時報 第1115号(07.06.15)


【主張】

    6月民主抗争と「維新民団」

 六月民主抗争二十周年を迎える今年、国家記念日として制定された六月十日に、初めて政府主催の記念式が行われ、盧武鉉大統領も祝辞を述べた。

 一九八七年一月、「朴鍾哲氏拷問致死事件」と「四・一三護憲措置」に続き、六月九日、延世大生の李漢烈氏が催涙弾の直撃を受けて死亡するや、国民の怒りが爆発し、六月十日から連日、ソウルをはじめ各地でデモが繰り広げられ、「護憲撤廃」「独裁打倒」の声が燎原の火のごとく全国を席巻した。

 一九七二年十月、朴正煕政権はいわゆる「維新クーデター」を強行し、非常措置を発動して憲法を改悪、それまでの大統領直接選挙制を廃止して、「統一主体国民会議」という御用組織による間接選挙制に変更することで、永久執権体制をつくりあげようとした。いわゆる「維新体制」である。

 この「維新体制」は、七九年の朴政権崩壊後も、光州市民を虐殺して登場した全斗煥軍部政権によって継承され、独裁の圧政はより強められた。

 しかし、反独裁民主化闘争は自主民主統一運動へと発展しながら、ついに、六月民主抗争として爆発する。

 全政権は「護憲」に固執して「維新憲法」のもとで盧泰愚への政権交替を強行しようとしたが、全国民的な抵抗の前についに屈服、「六・二九宣言」を発表することによって、護憲措置を撤廃して大統領直接選挙制への改憲公約を明らかにせざるをえなかった。六月民主抗争は、ついに「維新体制」を終えんさせたのである。

 これ以降、韓国社会は、本質的な問題を抱えながらも、形式的民主主義を発展させ、労働運動や市民運動が活性化するなど、大きく変化していく。

 一方で、七二年七月、在日韓国青年同盟(韓青)、在日韓国学生同盟(学同)への傘下団体取り消し処分など、処分を乱発して民団内良心勢力を追放した民団中央は、本国政府の「十月維新」に積極的に呼応して自らを「維新民団」と呼び、内外に先駆けて「維新独裁体制」に忠誠を誓う。

 以降、「維新民団」は、日本における韓国民主化支援運動や統一支持運動への暴力的な妨害行動などに団員を頻繁に動員、在日同胞社会の不信と対立は深まる一方であった。

 しかし、六月民主抗争によって「維新体制」が終えんし、「維新民団」体制も当然に清算されることが期待された。にもかかわらず、直接選挙によって盧泰愚政権が出帆し、「維新民団」体制は清算されるどころか、そのまま継続されることになったのである。

 独裁政権との癒着と不正腐敗の温床であった「政府補助金」についても、まったく問題にされることはなかった。

 しかし、韓国社会の発展と朝鮮半島をめぐる情勢の変化は、日本と在日同胞社会にも着実に影響を及ぼすことになる。

 「政府補助金不正問題」の追及は、本質的に、韓国社会の民主的発展に伴う「維新体制」清算事業の一環ということができる。である以上、今度こそ民団が、「維新民団」体制と決別する好機なのだ。

 「維新民団」体制と決別する道は、民団中央に寄生する一部の腐敗した反動勢力を排除して、在日同胞の生活と人権、民族的な権利を守ることを最優先に、「五・一七共同声明」の精神と立場に立脚することである。


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