【主張】
わが民族の歴史に学ぶ
紀元前の相当に古い時代、遼東半島から朝鮮半島にかけて朝鮮(のちの李氏朝鮮と区別するため「古朝鮮」としている)という国が、わが民族の最初の国家として隆盛を誇っていた。この時代から今日に至るまでわが民族の成員は、運命共同体として共通の歴史を歩んできたといっても過言ではない。
歴史を見ると、外勢のわが国に対する侵略によって、この国に生きる民衆は塗炭の苦しみを味わってきた。古代もこの例外でない。中国の諸国と肩を並べる強国であった古朝鮮に対して中国を統一した漢が侵略した。一年間にわたって古朝鮮は漢とよく戦ったが、内部の分裂によって紀元前一〇八年、ついに滅亡した。漢と内通した変節者が戦いをよく導いていた古朝鮮の将軍を暗殺したことが敗北の原因だった。多くの朝鮮遺民が奴隷として漢に連行されたり、亡国の民になったりした。この屈辱を乗り越えて漢による異民族支配を打破しながら古朝鮮の旧領地に朱蒙が高句麗を建国し、それに続いて朝鮮半島南部では百済と新羅がそれぞれ建国された。三国の間の交渉は通訳の必要がないことに象徴されるように、三国は同根同族であった。高句麗の勃興を軸にした三国時代は約八百年の歴史を持つが、残念なことに三国が一つになることはなかった。六世紀末から七世紀に入って中国の覇者となった隋、そして唐はそれぞれ数回にわたって史上空前の大軍を動員して高句麗を侵略したが、高句麗の徹底抗戦の前にすべて失敗した。
しかし、新羅が唐との「羅唐同盟」の道を選んだ時から民族史は暗転する。西から唐軍、南から新羅軍の同時攻撃を受けた高句麗は六六八年、ついに滅亡してしまった。その八年前に百済は、唐・新羅連合軍の侵攻によってすでに滅亡していた。
事態はそれにとどまらなかった。高句麗と百済の滅亡後、朝鮮半島全域の支配を画策した唐は「羅唐同盟」を破棄し、なんと新羅を攻撃し始めたのである。この時、高句麗と百済の遺民らは新羅に対する怨念を鎮め、同族である新羅の救援に立ち上がり民族の団結した力によって、ようやく唐軍をピョンヤンの大同江以北に駆逐できた。
一方、高句麗の将軍であった大祚栄は遺民を率いて唐との決死的な戦いに勝利し、現在の中国東北部の地に渤海を建国した。しかし、同族国家にもかかわらず新羅と渤海は最後まで友好関係を築くことはなく、それぞれ十世紀に滅亡した。わが民族が統一国家を持つのは、新羅の降伏と渤海の遺民を受け入れた王建の高麗の建国(九三六年)からである。
いずれにしても七世紀の大事変によって、わが民族が広大な領地を失い、多くの民衆が流民の辛酸を嘗めたことは否定できない歴史の事実である。
民族史は外勢の力を背負って自らの利益を追求することの愚かさを教えている。そうした行為はわが民族全体の利益を失い、ひいては、自らの利益さえも失う結果をもたらす。また歴史はわれわれが大同団結してひとつにならない限り、将来に必ず禍根を残すことを厳然と示している。