民族時報 第1077号(05.10.15)


【投稿】民主化運動の精神を体感/本当の連帯の糧は出会い

    最高の旅に感謝し、その意味心に刻む

永久睦子

 韓統連大阪本部が主催した「韓国発見ツアー チンチャ・コリア―本当の韓国」に参加した永久睦子氏の参加記を掲載する。

 九月二十二日から二十五日、念願の訪韓がかなった。これまでその機会がなかったわけではないが、「韓統連の人たちが行けるようになるまでは」と心に決めていたからである。

 韓統連の名誉回復、そして今年は戦後六十年。準備不足が懸念されたが、今回決断してよかったと思う。しかも韓統連大阪本部の金昌五事務局長の案内という、このうえなくぜいたくな旅だった。

 参加者は長年苦楽をともににしてきた四條畷市職の委員長とその家族、わたしの娘と二歳になる孫、そしてI(アイ)女性会議やピースサイクルのメンバーら、家族のような十人となった。

 二十二日昼前、仁川空港に到着。

 ソウル市内へ移動して、最初に景福宮を参観した。ここは秀吉による侵略で焼かれた後、復元されたという。案内をしてくださったのが、「独島守護隊」事務局長の金ジョングさん。その肩書きからは想像もできない、もの静かでやさしい人だった。わたしたちがまるで韓国語がわかるかのように、目をあわせ、「何時間かけても足りない」と笑いながら一生懸命語りかけてくださった。広々としたのどかな風景、この歴史遺産をこわし、日本がここに朝鮮総督府を建てて居座ったのだという。

 金さんは別れ際、「でもわたしは日本人が嫌いではありません。日本は過ちを心から謝罪し、償わなければなりません。そしてわたしたちはそれを受け容れ、許さなければならない」と結ばれた。あの深いまなざしを忘れない。時間の関係で西大門刑務所の訪問は断念した。

 次に韓国挺身隊問題対策協議会へ。ビデオを見たあと、事務局長の尹美香さんのお話を聞く。日本政府や日本の労働運動、連合への批判をわたしたちは、わが身に痛く受けとめて聞いた。今年八月現在で六百七十回を重ねた駐韓日本大使館前の水曜デモ。にもかかわらず日本政府の対応など状況は何も変わっていない。けれどハルモニたちは闘いのなかで確実に変わった、と。わたしたちは今回の旅への思いをそれぞれに語り、そのあとハルモニたちのウリチブ(わが家)へ。それはそれはおいしい手づくりの料理をいただきながらこん談が始まった。ハルモニは、人見知りして逃げ腰の孫を何度も何度も抱き寄せ「タベタカ」「モット、タベナサイ」と日本語で話しかけてくださる。自分は抱くことができなかった孫に思いを重ねておられるのだろうか。この優しさと、恨(ハン)のうえに日本の「豊かさ」や「幸せ」があってはならないと痛感した。

 翌日は列車で光州へ。

 二十五年前、テレビや新聞で見入った光州の地に立ち、犠牲となった人たちの霊前で、その生と死について教えられた。兄さんを光州民主化運動で失われたという所長の女性は、光州がいまも光を失わない要因を三つあげられた。それは、分かち合いの精神、高い道徳性、そして、最後まで道庁にたてこもり、「死ぬかもしれない」ではなく、「必ず死ぬ」という局面で、それでも屈しなかった思想性だと。所長も、墓地を案内してくださった五・一八記念財団の金燦昊さんも、笑顔のさわやかな人だった。

 三日目は、米兵にひき殺された二人の女子中学生の慰霊碑に黙とうを捧げたあと統一展望台へ。南北を隔てる川幅は一番近いところで四百五十メートル。望遠鏡でのぞけば道行く人の姿が見える。引き裂かれた家族はどんな気持ちでここに立ってこられただろう。

 最後の夜のミーティング、若いMちゃんは「韓国の人たちは自分の国を自分たちの力で動かしている。日本もそうならなければ」と。またOさんは水曜デモの主催を決意した。送り出してくれた仲間とも共有しよう。そしてわたしは「水曜カンパ」を提案した。毎週水曜日、炎天下、あるいは酷寒の日、日本大使館前に立たれるハルモニたちに思いをはせ、その都度カンパを入れようと。

 仁川空港に降りたって、金昌五さんの第一声は「長い間お待たせしました。ようこそ(わたしの祖国)韓国へ」――感無量だった。

 一方、アジアの民衆が目をこらして見ている総選挙で大敗してしまう日本である。けれどこの現実と別世界で日韓連帯は語れない。ここから逃げずに、これからも韓統連の人たちと向き合い、本当の関係を築いていこう。


[HOME] [MENU] [バックナンバー]