民族時報 第1071号(05.07.21)


【投稿】わが人生で最高の瞬間に/嵐の歓迎に「統一」叫び

    6・15民族統一代祝典に参加して

 

李 哲(在日韓国良心囚同友会代表)

 在日韓国良心囚同友会(同友会)と友人らの支援と声援を受けて、わたしはピョンヤンで開かれた「六・一五民族統一大祝典」に参加してきた。大祝典はひと言で言って大成功だった。わたしは同友会の代表として今回のこの行事に参加できたことを、何よりもうれしく名誉に思っている。

 統一大祝典の内容や意義はすでに詳しく報道されているので、ここではわたしが特に印象深かったいくつかのことを記しておくことにする。

 六月十一日午後四時五十分、わたしたちの高麗民航機はピョンヤン順安空港に着陸した。機内に到着のアナウンスが流れると乗客から一斉に拍手があがった。タラップを下りると、空港建物の前に整列した楽隊のファンファーレが一斉に響き、歓迎の行進曲が演奏される。歓迎には六・一五共同委員会の安京浩・北側委員長をはじめ、多数の関係者が出迎えてくださり、みなさんと握手を交わした。

 わたしと鄭甲寿氏は空港建物の金日成主席の写真と、ピョンヤンと書かれた看板を背景に写真撮影するために走った。ここは五年前、金大中大統領が飛行機をおりて、金正日国防委員長と熱い握手を交わした場所だ。五年後のいま、わたしたちはその時の感動を味わっていた。

 六月十四日午後零時十分、南側代表団が乗ったバスが空港から到着した。わたしはこの瞬間をカメラに収めようと待ち構えていた。シャッターを押す。一枚、二枚、三枚・・・・・・、ファインダーに懐かしい顔が次々に入ってくる。もうだめだ。わたしはカメラをポケットに突っ込んで、彼らのなかへ飛び込んだ。「ああ、○○先生」「李哲氏、来ていたのか」。わたしは彼ら一人一人と握手し抱き合った。韓国でもなかなか会えない人たちなのにピョンヤンで会い、抱擁できるなんて。涙が出そうになった。朴容吉長老、張永達議員、南民戦の金容玉さん、韓明淑さん、任軒栄先生。ウリ党の金希宣議員はわたしに驚き、「閔香淑(妻)も一緒にきたの」とたずねる。わたしが今回は来られなかったと言うと、「八・一五にはソウルで会えるね」と言ってくれた。わたしには夢のような三十分だった。ああ、ピョンヤンにきて良かった。本当にきた甲斐があったというものだ。

 同日午後七時、民族統一大行進のために千里馬銅像の前へ。雨が激しく降っている。千里馬銅像に着く前にわたしたちには雨具が支給されていたが、わたしは雨具の上着だけを着用することにした。半袖、トレーナー姿で旗を持って整列し、雨を耐えている少年たちと、雨に濡れながら祖国統一を連呼する数万のピョンヤン市民たちのことを思うと、せめてズボンだけでも脱いで、同じ雨に一緒にぬれたいと思ったのだ。わたしと鄭甲寿氏は海外代表団の先頭で横幕をもって進むことになっていた。

 行進が始まると、遠くの方から「ドオー」という地響きのような音が聞こえてきた。わたしたちは「祖国統一」の大きな連呼と地響きに包まれ、溶け込んだ。ピョンヤン市民の嵐のような大歓迎は、わたしたちのもやもやを完全に焼きつくし、心の壁を取り払っていた。雨具の帽子も風に飛ばされ、頭は雨ざらしになったが、もうそんなことなどどうでも良かった。わたしは沿道を埋めつくした十万のピョンヤン市民たちに手を振り、晴れてピョンヤン訪問ができた感激のあいさつをした。沿道の建物の窓からも手を振って熱烈に歓迎している姿が見え、胸がつまった。全身がずぶぬれになっても気にならなかった。むしろこの沿道の大歓迎の波と一つになっているという感激がわたしをすっぽりと包んでいた。

 わたしは、雨なのか涙なのか自分でも分からないけれど、顔中をぐちゃぐちゃにして「祖国統一」を連呼し、手を振った。いまだかつて、こんなに大きな声で喉(のど)をからして「祖国統一」を、だれにはばかることなく、ありったけの声を張り上げて叫んだことはなかった。わたしにとって、この場、この瞬間は、五十七歳のいままでありえなかった、最高の瞬間だった。

 十八歳から五十七歳までの三十九年間。韓国での死刑囚の三年六か月をふくむ、十三年の監獄暮らしと十余年の同友会の活動など、そのすべての人生は、この瞬間のための準備だったような気すらした。

 「ああ、同友会の仲間たちがこの場に一緒にいたらどれほどいいだろうか」

 わたし一人がこんな幸せを味わってもいいのか。わたしは今回参加していない仲間の分まで大きな声で統一を叫んだ。

 六月十七日夕刻、あれほど願った南から北へ帰られた長期囚の先生方に会うことは、ついにかなわなかった。わたしは怒り失望した。その時、ある総連の先生がこう言ってくださった。「さぞかし残念なことでしょう。しかし、ここにはここの事情ややり方があるのです。最初のひとさじでお腹が一杯になることはないでしょう」。わたしはその言葉に感銘を覚え、はっとわれに帰った思いがした。「そうだ。最初のひとさじで腹がふくれるわけがない。みんなだれでも似たような苦々しさをかみ砕き、消化し、そして昇華させてきたのだ」。

 もし長期囚の先生方にすんなり会えていたら、高慢と有頂天におぼれていたかもしれない。南北の、こんなにも異質な社会同士が一つになるためには時間もかかるし、長い話し合いと理解が必要なのだ。わたしたちは、いまあるそのものを尊重し、抱擁していかなければならない。

 わたしはピョンヤン最後の夜を鄭甲寿氏と二人で、ビールと焼酎で過ごしながら、今回の六・一五民族統一大祝典に参加できたことを心から良かったと思った。わたしはわたしのすべての過去に感謝しながら、快い疲れのなかに杯を飲み干した。


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