【記者の目】過去を克服し新しい時代を/互い寛容性を発揮すべき
民団新聞2500号に寄せて
民団新聞が2500号(四月二十七日付)の特集号を発刊した。本紙も創刊三十三年、旬刊で1065号を数える。商業紙ではなく内外同胞(関心ある日本人)を対象にした機関紙としての新聞事業には、さまざまな困難がつきまとうものだ。その意味で、まずは民団新聞に祝賀のエールを送りたい。
だが一方で、民団新聞の「歴史から浮かんでくる、共同体を政治的に利用する」(特集号社説の表現)報道姿勢については、どうしても指摘しておかなければならない。つまり、本国独裁政権への追従を、共同体の和合と和解に優先してきた歴史的事実である。「共同体」を同社説は、「歴史的、文化的な背景を同じくするものの、多様な価値観を持った生身の人間集団」と正しく定義している。そうであるがゆえになおさら、その報道姿勢を残念に思う。
特集号では、「2500号の足跡」をたどりながら、六〇年代から七〇年代初めにいたる民団民主化闘争を、「総連がフラクションを民団内部に植えつけ、中央本部の乗っ取りを図った組織破壊・かく乱策動」だと強調している。
しかし、この当時の歴史的経緯については、本紙1041号(〇四年十二月一日付)に掲載した「民団中央本部に対する提議書」で詳しく明らかにしたとおりだ。「民団混乱事態」の原因は、六十年の四月革命と翌年の五・一六軍事クーデターに対する評価をめぐる対立を起点としており、朴正煕独裁政権の民団への圧力と干渉によるものだった。当時の民団民主化闘争を指導し、後の韓民統指導部を構成したのは、九代にわたって中央本部団長を務めた金載華先生(第二代韓民統議長)をはじめ、そうそうたる民団幹部たちである。この運動を「朝鮮総連のフラクションによる」と強弁するのは、当時でも民団同胞の情緒にそぐわないものであったにもかかわらず、三十余年を経た現在にいたっても、公然として恥じない姿勢には憤りをこえて、あ然とせざるをえない。また、当時の民団民主化勢力を「乱動事態」を引き起こした暴力分子としてことさらに強調しているが、反対に当時、民団中央側の暴力によって被害を受けたものは無数におり、池之端文化センター襲撃事件で会場警備に当たっていて重傷を負い、いまだにその記憶がぬぐえない者もいる。今、そのことを持ち出して是非を問おうというのではない。三十余年も前の出来事であり、今は、過去を不問にして新しい時代をともに切り開こうというときだ。しかし、民団がことさらに過去を持ち出してそれを正当化し、それを韓統連との和解を拒否する根拠にしようとするのであれば、これは黙過できないことだ。
民団新聞の特集号に対して、民団のインターネット・ホームページの「自由掲示板」にある団員の声が寄せられている。「三十年前と同じような論理で民団内の改革派を追放したことを武勇伝のように歴史を裏付けることに対し、時代状況による変化の兆しが今も見えず残念に思う」「七〇年代の朴正煕政権の影がしのぶ民団が維新民団として御用団体化されたことに対しての反省による歴史的記述も含めより客観的な記述が必要」「冷戦構造が覆う軍事独裁政権下の韓国で客観性にかける極端な二分法的冷戦イデオロギーが支配する状況の中、民団、韓民統ともお互いが葛藤(かっとう)し、傷つけあい、翻弄(ほんろう)された時代でもあったが、三十年以上たった今、当時の混乱と対立による正義、不正義による是非を正すのでなくお互いに歴史的に反省する寛容性と了見の広さがあれば、本国の若い韓国人にも今の若い在日にももっと尊敬される在日団体になるのではないだろうか」。このような良識ある団員のいることを心強く思う。
韓統連の民団中央本部に対する提議書の真意は、過去を糾明して是非を正そうとすることでなく、「民団もまた当時の独裁政権の圧力と干渉の被害者であった」ということを互いに認め合い、今こそ、在日同胞団体の自立性を堅持して和解し、協力していこうということなのだ。
(金基鳳記者)