【資料】完全廃止だけが正しい唯一の答え
Q&A 国家保安法廃止、そこが知りたい C
Q前の第七次改正以後から最近に至るまで、国家保安法(保安法)による人権侵害は減ったのではないか。
A調査もせずにこんなにあつかましいうそをつくところを見ると、本当に良識を疑いたくなる。実際には、九一年の第七次改正以後にかえって保安法違反者は増加した。裁判所の統計によると、六〇年以後、最大の拘束者が生まれた年が六八年で、六九年に次いで九七年(起訴人数六百三十三人)だ。九一年以後、毎年平均約三百人が拘束されており、最近になってようやく百人以下になった。
ところで、国際社会が保安法の弊害を指摘して廃止を勧告したのは、すべて九〇年代のことだ。九二年と九九年の国連人権委員会は、保安法が国際人権規約に違反しているとして段階的な廃止を勧告し、九九年の国連特別報告官のアビド・フセインも思想と表現の自由への侵害を憂慮して、保安法の問題点を指摘した。ひどいことに、九〇年代には保安法による拷問事件がなかったように強弁しているが、これもうそだ。二十二日間、国家安全企画部(現国情院の前身)に連行されて、スパイだと自白せよと強要される過酷な拷問にあった「朴忠烈氏事件」は九五年の事件で、高校生の文化サークルの「泉(セム)」を主体思想学習グループだとして拷問する事件が発生したのは九四年だ。北の同胞を支援する運動が金正日国防委員長を保衛する闘争だと主張して盗聴と拷問をした「嶺南委員会事件」のねつ造は九八年のことだ。どうしてやたらとうそをつき続けるのだろうか。虚偽事実に基づいた虚偽の主張をするのは、彼らがあせっているからだろう。
A現に保安法が存在していても南北交流に問題がないではないか。
Qどうして問題がないのか。交流も事業も信頼関係がなければならない。保安法で北の同胞を、生死をかけて闘うべき敵だと規定しているのに、北の同胞が南の人間と会うときに、その本心を疑うのは当然のことだ。今日はどんな交流をするのかと相談しておいて、明日になると保安法であれこれ制止される状況が数十回も起きている。
保安法があっても南北交流事業は進行するが、保安法がなければもっと簡単に進展させることができる。保安法があっても開城の工業団地が推進されているというが、戦略物資をうんぬんして必要物資を搬入できず、接触するたびに報告し、審査を受けなければならないというのではどうしようもない。また北朝鮮の住民や当局者と会った時、あいさつ程度で彼らをほめても、称賛・鼓舞罪で処罰されるので、企業家らはすべての言行が保安法に違反するかどうか戦々恐々としなければならない。これでどんな事業ができるというのか。体育人らも北の人びとに会うたびに負担を感じるというのも、すべて保安法のせいだ。結局、南北交流の幅を徐々に広げ、一つの「政治・社会・文化・経済の南北共同体」を形成しようとするなら、ただちに保安法という障害物をなくさなければならないだろう。
A無理に廃止せずに改正する方向が正しくないか。
Q保安法の改廃論議が沸騰している今、最も説得力のある言葉に聞こえる。しかし、保安法は絶対に改正にとどめてはならない。完全廃止だけが正解だ。そして改正論議がより一層の混乱をもたらす可能性が高い。改正論者の主張は、国家安保のために保安法が依然として必要だというのだが、それは反北主義に基づくものだ。彼らは北朝鮮を反国家団体と規定した条項をそのまま存続させようとしている。しかし、北朝鮮を反国家団体と規定する以上、保安法のどのような条文も削除あるいは変更、構成要件を厳格にするといっても、保安法の適用現実で変わるものは何もない。ただ形式的に改正するだけで、それも相当な紛糾のあげくにようやく合意するつもりだ。言葉では改正をいいながら、実際には存続に重心を置いているからだ。金大中政権時代の改正論議が最終的にはうやむやになった事実を記憶しているはずだ。
そして国論分裂をうんぬんして、国を心配するお歴々が保安法をめぐる論争と討論をもって、韓国社会で表現の自由が伸張し、民主主義が成熟している過程だと肯定的な評価をする。もちろん独裁の長いトンネルをくぐって来たために、独断と偽善に慣らされてしまい、論争は非常に不慣れだが、これは確かに発展であり進歩だ。この論争がより一層理性的で合理的な方向で進行されて保安法廃止につながるなら、韓国社会の民主主義と人権水準はさらに飛躍するだろう。未来のための唯一の選択は、保安法の即時完全廃止だ。
(おわり)