【投稿】各地で熱烈な歓迎/同志的な連帯関係を築く
国内青年学生と交流して
文世賢(在日韓国青年同盟中央副委員長)

わたしは故国訪問事業の公式日程が終了した後、韓青の常勤を中心とした十四人の仲間らとともに「韓国青年団体協議会」(国内韓青)傘下の光州(十二日)、釜山(十三日)、蔚山(十四日)、ソウル(同)地域の同志らと交流を深めてきた。各地では盛大で温かい歓迎会が催され、またさまざまな活動現場を紹介されるなど、とても貴重な経験をすることができた。
とくに圧巻だったのは釜山の歓迎会だった。
釜山大学学生食堂での歓迎会には釜山民青だけでなく慶州民青、民族楽器演奏集団の「ソリキョル」、民衆歌謡グループの「ヒマンセ」の仲間も駆けつけてくれた。約二百人の仲間が「統一先ぽう隊讃歌」を大合唱するなか、わたしたちは韓青旗を掲げて入場した。会場には「在日韓青を熱烈に歓迎する」との横断幕も掲げられており、国内の仲間たちからは「パンガプスムニダ」(お会いできてうれしいです)、「チャル・オショッスムニダ」(ようこそ)とひっきりなしに歓迎のあいさつが送られた。
釜山民青の朴チャンホン議長ら各代表から歓迎辞を受けたあと、わたしが答礼あいさつした。
「これまで韓青が南部祖国に来られなかったのは、国内と海外の韓統連を中心にした自主・民主・統一運動が力を合わせるのを反統一勢力が恐れていたからだ。つまり、わたしたちが直接的な連帯を持続し強化すれば、間違いなく勝利できる。これからも、より一層交流してともに闘おう」
たどたどしいウリマルだっただろう。しかし、わたしの熱い思いは伝わったはずだ。参加者らは盛大な拍手と歓声でこたえてくれた。
国内韓青の同志らは心のこもった歌や律動を披露してくれた。それにこたえてわたしたちも、急きょ出し物を発表することにして、公式日程の文化公演でやった全体律動をして交流は最高潮に達した。いったん歓迎会を締めくくり、釜山大学のあちこちで交流が続いた。互いに杯をかたむけながら、何度も何度も肩を組んで闘いのなかで共有した歌を歌った。お互いの思いを確認しあうことができた。そして、気づいてみればすでに朝の六時だった。わたしは朴議長にもう一度感謝を述べた。すると彼は「わたしが日本で受けた歓迎をそのまま真似しているだけだ。気にするな。在日韓青の歓迎はこんなものじゃなかった」という。感謝の気持ちはふくらむ一方だった。
後日聞いたところによると、朴議長は体調が悪くずっと禁酒していた。だが「在日韓青が来るときだけは解禁する」と周囲にもらしていたという。彼の限りない愛情に目頭が熱くなった。
ソウルでは民族共同行事推進本部青年学生委員会(青学委)にも歓迎してもらった。青学委は南側の青年学生統一行事推進機構であり、そこに参加している代表らは南側青年学生団体のオールスターということになる。そこには九九年に北側から板門店を通って南へ帰還した黄ソン氏(元韓総連訪北代表)も参加しており、思いがけない再会を喜んだ。彼らはわたしたちのために集まり、歓迎会を開いてくれたのだった。
そのほかにも、蔚山からソウルへの移動が渋滞に巻き込まれ、約三時間も待たせてしまったにもかかわらず、疲れた顔一つ見せず熱烈に歓迎してくれたソウル韓青の同志たち。当初訪問予定になかったが、「ぜひ在日韓青と交流したい」と歓迎会を開いてくれた蔚山の同志たちから温かい愛情を受けた。
とても厳しいスケジュールだったが、各地で受けた国内青年の変わることのない同志的愛情が、疲れを吹き飛ばしてくれた。こんな恩恵に浴せたのも、韓青の先輩方が作ってこられた愛国闘争の歴史や、ともに参加した仲間の決意があったからだと思う。
在日韓青と国内韓青は同胞のなかの同胞だ。ともに愛国の道を歩んでいる。住む場所も育った環境も大きく異なり、言葉のコミュニケーションも不十分だが、「祖国と民族の未来のため、わたしたちがなすべきことをする」との決意がわたしたちを同志にしてくれた。
彼らの歓迎は、これからの韓青への期待だったように思う。
「よく来たな!もっと大きな仕事ができるな」「これからも愛国運動がんばれよ」「ともに闘おう」
早口で聞き取れなかったウリマルは、全部、こう聞こえた。彼らの大きな期待を感じるがゆえに、配った名刺の一枚一枚が重く、写されたカメラのシャッターの音一回一回が胸に響いた。
わたしの名前、わたしの顔、韓青を記憶してくれたすべての国内同志らに恥ずかしくない韓青でありたい。そう痛感した四日間だった。