【読書案内】継承と変容そして危機
〈在日〉文学論
磯貝治良著(新幹社刊、定価2400円+税)
「一九四八年に難民化した直後の十年間というもの、パレスチナ人は、沈黙した、知られざる存在でした」
このエドワード・サイードの言葉(『ペンと剣』より)は、「在日朝鮮人文学」から「〈在日〉文学」への変容を考えるうえで、小さくない示唆をあたえてくれる。
サイードは続けて、五〇年代の後半にパレスチナ民族意識の復興運動がおこり、多くのパレスチナ人が民族意識を小説や詩や戯曲などで表現するようになった。六七年の第三次中東戦争以降は、アラブ世界において、「文化的にはパレスチナ人の声が真実の声を代表・表象するようになった」と評価した。
つまり、〈当事者による文学〉がなければ、パレスチナ人にとってのイスラエル、在日朝鮮人にとっての日本など、支配的な言説によって、マイノリティ(少数者)が一方的に表象され、沈黙し屈従した存在にされてしまう、ということである。
戦後の在日朝鮮人文学は金達寿の小説群、許南麒の長編詩を始まりとし、二人の代表的な作品は、朝鮮戦争中に発表され、書き継がれた。それは植民地体験と民族存亡の岐路でなされた血を吐くような営為であり、日本語で書かれていようとも、「われわれ意識」を表現する民族文学の機能を果たしていた。また、日本語で書かれたことによって、支配的な言説によく対抗することもできた。
第二世代とされる金石範、李恢成ら、また少し後の梁石日、宗秋月らも、第一世代の文学的特質を継承しているといえるだろう。「脱日本語的日本語文体」、「民衆を描く」、「くにのもの(という政治的テーマ)」などは、地下水脈となって、さまざまな作品に潤いをあたえている。
では、八〇年代半ば以降の「〈在日〉文学」はどうか。磯貝はこれを「〈私〉と〈ひと〉の関係性をキイワードに文学的アイデンティティが仕掛けられている」と特徴づけている。こうした「〈在日〉作家」らの作品も、〈当事者による文学〉といえなくもない。しかし、支配的言説への対抗性をいちじるしく喪失した、つまり文壇に歓迎される作品は、支配言説を補完し、在日朝鮮人文学が表象した生を現に生きている、いわば〈マイノリティのなかのマイノリティ〉を抑圧する言説に変身する危険性をはらみさえする。
本書に収録された金鶴泳論は、「〈在日〉文学」の文壇的代表格といえる竹田青嗣の、不遇性=「〈在日〉文学」との批評方法を直接的にではないが、厳しく批判している。また、〈新たな帝国主義戦争の時代〉の在日朝鮮人文学=生き方の課題をも示唆した、重要な論考である。(英)