民族時報 第1041号(04.08.01)


【参加事】民主化運動ゆかりの地訪問

    海外同胞招請訪問事業に参加して

文世賢(韓青中央副委員長)

 わたしは韓青の同志三人とともに、七月六日から十五日までの十日間、「五・一八記念財団」が主催する「海外同胞子女招請民主主義訪問」事業に参加してきた(韓青以外に日本三人、米国五人、ドイツ四人、豪州一人の十七人が参加)。

 ソウルでは「全国民族民主遺家族協議会」(遺家協)、「明洞聖堂」、「民主化運動記念事業会」を訪問し、六月民主抗争などソウルを舞台にした民主化運動の説明を受けた。特に「遺家協」では姜a祚会長(姜慶大烈士のアボジ)や李小仙オモニ(全泰壱烈士のオモニ)をはじめ歴代の会長が出迎えてくださり、熱い歓待と激励を受けた。夜には光州民衆抗争を題材にしたコメディー演劇「チャンポン」を大学路の小劇場で観覧した。

 翌日は「板門店」に立ち寄った後、光州に向かった。光州では「望月洞墓地」「国立五・一八墓地」を参拝し、「全南大」「全南道庁」「五・一八自由公園」「五・一八記念財団」など、八〇年光州民衆抗争ゆかりの地を訪問した。

 その後も光州を拠点にしながら、無等山の登山、甲午農民戦争の史跡地(全北)巡り、世界的な作曲家の故尹伊桑先生の故郷であるトンヨン(慶南)まで足を伸ばし「トンヨン国際音楽祭」を訪問した。また、単独選挙に反対し李承晩政権と米軍政府に反乱を起こしたパルチザン闘争の舞台となった麗水(全南)にも行き、事件の説明を受けた。最後の訪問先は木浦(全南)付近の務安という海岸沿いの村で、農村活動などを体験した。

 最終日には十七人の参加者が三組に分かれて、この行事を通じて感じたことを、写真や絵や寸劇などそれぞれの手段で発表するのだが、わたしたちの組は絵と詩で感想を表現した。

  「わが祖国の先達たちは、今を生きるわたしたちに、何を残してくれたのか。/五月の空の下、命をかけて、叫びながら、求めていたものは、何なのか。/彼らはわたしたちに『時代を生きる尊さ』を教えてくれた。/『時代を生きる尊さ』/それは、次の時代のために、人生をかけて闘うこと・・・」

 かなり長い詩なので全文を再録できないが、この詩には今回の事業を通じて得られた思いや決意をすべて込めたつもりだ。

 実は「望月洞墓地」に行くのは今回で三回目だった。前の二回は十年ほど前で、まだ韓青活動に参加していなかった時のことだ。もちろん、多くの在日同胞青年がその存在すら知らない「望月洞墓地」に往復十時間かけて行くのだから、その時なりの知識と感情を持っていた。しかし当時は、英霊たちの「命をかけた叫び」を深く想像できずにいた。

 あれから十年、まがりなりにも韓青運動、つまり自主・民主・統一運動を実践していることで、彼らの叫びが「過去の叫び」ではなく、「現在進行形の叫び」であることが骨身にしみるほどにわかった。さまざまな英霊の墓石を紹介された。十年前には一人も知らなかったが、今日は知っている烈士の方が多い。彼らへの思いと想像力がかり立てられた。

 金南柱詩人の墓石の前に立ち、「ともに行こうこの道を」をいっしょに歌った韓青神奈川の同志を思い出す。姜慶太烈士の墓石の前に立ち、十数年間奮闘してきた歴代の学生協執行部メンバーを思い出す。朴鍾哲烈士に向き合い「あなたは今の韓国社会、六・一五時代の民族状況を喜んでくれているのでしょうか」「わたしたち後輩たちに『がんばったな』と言ってくれるのでしょうか」と無言で話かけた。

 前日、板門店へ行ったとき、淡々としている自分を意識した。「分断の現実」「民族の悲劇」という言葉が頭の中を飛び交っていたのに冷めていた。

 「望月洞」はわたしに、冷めた自分を気付かせてくれた。泣かなかった自身の無感動さを悔いたのではなく、南側板門店独特の「観光地雰囲気」に流され、死線を越え、統一を訴え、監獄に閉じ込められた林秀卿氏や汎青学連の訪北代表の思いを、深く想像することさえ放棄していた自分が恥かしかったのだ。

 あの人たちは「民衆が時代を作る。民衆が『時代の主人公』にならなくてはならない。『時代の主人公』は、次世代に責任を持って『歴史の発展』のために寄与する人のことだ」と言っていたに違いない。まだまだわたしは「時代の主人公」になりきれていない。

 残り少ない青春時代をもっともっと輝かせて、「時代の主人公」になりきりたい。

 わたしは、光州をはじめ南部祖国の自主・民主・統一の英霊たちから「無言のしった激励」をもらって、韓青活動の現場へ帰ってきた。


[HOME] [MENU] [バックナンバー]