民族時報 第1022号(03.11.21)


【基調演説】 韓統連結成30周年記念大会

    自主・民主・統一運動に捧げた輝かしい愛国の道

みなさん。

われわれはきょう、自主・民主・統一の旗を高く掲げて、愛国と正義の道を屈することなく歩んできた韓統連結成三十周年を記念する歴史的な大会を開催しています。

この意義深い席で、わたしはまず、韓統連の結成と強化発展のために多大な貢献をされた海外同胞運動の巨星である「東湖先生、韓統連の前身である韓民統の議長代行、議長、最高顧問として活躍された金載華先生をはじめ、わが組織の顧問や中央委員として活動されてすでに他界された多くの先生と同志らの姿を思い浮かべながら、その方々に崇高な敬意を表します。

また、わたしは三十年の間、韓統連の活動に常に深い関心を寄せてくれた内外のすべての愛国民主団体と、そしてきょうの記念大会を輝かせるために、忙しいなかにもかかわらず貴重な時間をさいて本国からはせ参じてくれた「海外民主人士の名誉回復と帰国保障のための汎国民推進委員会」の崔炳模常任共同代表、林鍾仁執行委員長、そして「韓統連の名誉回復と帰国保障のための対策委員会」の洪根洙共同代表や李基旭執行委員長をはじめ、みなさんに心から感謝の言葉を送ります。

三十年の間、日本で厳しい状況のもとにありながらも屈することなく闘ってきたわれわれの故国訪問が実現し、民主人士として仁川空港からソウル、光州、釜山など行く先々で熱く迎えてくれた感激は一生忘れないでしょう。あらためて感謝の意を表します。

みなさん。

韓統連の出帆三十周年を記念するこの大会で、わたしは、曲折多い韓国現代史とともにわが組織が歩んできた三十年の道のりを感慨深く振り返ってみたい。

ご承知のように、七〇年代は暴力的な朴正熙維新独裁に反対する日々の連続であり、絶え間なく持続された反維新民主化闘争の結果として、ついに維新独裁を打倒して輝かしい勝利をかち取った年代だった。わたしは、反維新民主化闘争の最先頭で闘った組織が、わが韓統連だということを思うとき、あまりにも誇らしく思う。

一九七二年十月の維新クーデターによって、本国の国民は初歩的な人権さえも踏みにじられ、民主と統一をめざす行動は容赦なく銃剣で弾圧された。民主が抹殺され、正義が葬られる惨たんたる本国の現実は、愛国民衆に反維新民主化運動に立ち上がることを切実に要求していた。しかし、本国同胞は沈黙と屈従だけを強要される厳しい状況から、時代の切迫した要求にこたえることのできない立場におかれていた。

まさにこのような時、本国の愛国民主勢力に代わって反独裁民主化闘争の炎を高く燃え上がらせ、自主・民主・統一運動を先導しなければならないとの民族史的使命を胸深く受けとめ、一九七三年八月十五日、ついに反独裁民主化運動の中枢組織であり先ぽう部隊として、韓統連の前進である韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)の歴史的な出帆を宣布することになったのである。

韓民統の出帆は、維新独裁の暗雲を取りはらう民主化闘争の最初のたいまつであり、民主と統一のための海外同胞運動の新しい地平を開いた歴史的な壮挙だった。韓民統が結成されたことで、在日同胞の権益が擁護され、民主化・統一運動が組織化されて新しい発展の道に進むようになり、欧州と米国の愛国的な同胞とも連帯、連合しながら、反維新闘争と統一運動を世界的な範囲に拡大、強化することができるようになった。

日本の東京で燃えあがった民主化闘争の炎は、ついにその年の十月、ソウル大文理学部学生らの決起へとつながり、暗黒の地を照らす炎として燃えあがった。これに限りなく鼓舞されたわれわれは、韓国民衆の正義の反独裁民主化闘争に対する国際的な連帯と支持を積極的に呼びおこすために、すべての力を注いだ。

それらの活動のいくつかを簡略に挙げれば、維新独裁の本質を暴露するための声明書と抗議文の発表、民衆大会と街頭デモなど、さまざまな形態と方法で維新独裁政権を糾弾し、本国民主勢力の闘争を支持、声援しながら、とくに本国民衆のし烈な闘争に支援を要請する国際的な連帯活動を積極的に展開した。

一九七六年三月一日に「民主救国宣言」を発表した金大中先生と尹ボソン先生ら民主人士が逮捕、拘禁されたとき、韓民統は拘束、起訴、公判、宣告のたびにその不当性を暴露、糾弾する活動はもちろん、すべての良心囚の無条件釈放を要求する百万人署名運動を展開し、その署名簿を国連人権委員会に提出した。

そして、その年の八月、韓民統は世界十六か国の著名な人士らが参加する「韓国問題緊急国際会議」を開き、民主化と祖国統一のための韓国民衆の闘争を全面的に支持・連帯する決議を導き出した。

一九七七年に入り、朴政権が内外で孤立状態に陥って統治基盤が揺れ動き始めると、本国の民主勢力は「民主救国憲章」の発表に続いて「民主救国憲章署名推進本部」を結成し、「民主救国憲章の道」を宣布しながら、反独裁民主化闘争をより激烈に展開することにしたのである。

本国民主勢力のこのような闘争に呼応して、韓民統は東京で「民主救国憲章署名運動海外同胞推進委員会」を構成し、そのもとに日本、米国、欧州地域に推進本部を設置するなど世界的な規模で署名運動を先導的に展開した。このような闘争を通して海外同胞間の連帯と団結が一層強化され、海外同胞の連合組織を結成できる基礎がつくられていった。

その成果にもとづいて、韓民統は一九七七年八月十一日から十四日までの四日間、東京で「海外韓国人民主運動代表者会議」を開き、「民主民族統一海外韓国人連合」(韓民連)を結成し、十五日に宣布大会を開いた。韓民連の出帆は、海外同胞の民主化闘争と統一運動を一層高い段階に発展させた歴史的な出来事だったと言える。

韓民連の結成によって、海外民主勢力はそれまでの分散性を克服してひとつの戦線体として結集し、団結した力によって維新独裁に反対する力を何倍も強化できるようになった。すなわち反独裁民主化闘争と統一運動を一層高い段階で強力に展開できる戦線体組織を持つようになり、国際的な連帯運動を全世界的な範囲に拡大発展させることができたのだ。

また、韓国民主労働運動の起爆剤になった全泰壱烈士の生涯を記した「全泰壱評伝」を日本語で出版し、それを題材にした映画「オモニ」を製作して日本全国と世界各地で上映運動を精力的に繰り広げながら、当時、独裁政権下で過酷に搾取されていた悲惨な韓国労働者の実態を全世界に告発した。

維新独裁政権を破滅させるための内外民衆の抗争は、一九七九年についに絶頂に達した。維新独裁を審判する歴史の日が近づいたのだ。闘いは、ついに釜山と馬山の民主市民と青年学生らが憤然と立ち上がった釜馬抗争へと発展し、この抗争の炎はソウルと他の都市へと急速に広がっていった。この抑えることのできない抗争は民意を反映し、結局、中央情報部長金載圭による朴正熙殺害という一〇・二六事態になり、十八年にわたった維新独裁は悲惨な終末を迎えることになった。

維新独裁の破滅は、韓国社会の民主化のために闘ってきた韓国民衆の血のにじむ貴重な最初の勝利だった。わが韓民統は維新独裁の没落に応分に寄与したと自負している。

またわれわれ韓民統にとって、七〇年代は金大中前大統領の救出運動にすべてをささげた年代でもあった。暴悪非道な朴正熙軍事政権は、韓民統の結成を破たんさせて最大の政敵の金大中先生を葬るために、韓民統結成を前にした七三年八月八日、議長として推たいすることになっていた金大中先生を東京のど真ん中で白昼に拉(ら)致するという蛮行を働いた。

事件が発生すると、韓民統準備委員会はその日ただちに拉致現場で記者会見を開き、金大中先生の拉致犯は韓国中央情報部(KCIA)であることをはっきりとマスコミに暴露し、翌日、金大中先生救出対策委員会(委員長・鄭在俊民団東京本部団長)を組織して大々的な救出運動を展開した。もし、われわれがそのように迅速に行動しなかったならば、金大中先生は間違いなく人知れず玄界灘の海深く投げ込まれていただろう。

このようにわれわれの闘争が輝かしく実を結び、金大中先生が大統領に当選し、在任中に訪朝して金正日国防委員長とともに統一の里程標である歴史的な六・一五南北共同宣言を発表し、不信と対決の南北関係を和解と協力へと転換させるようになったことに、われわれは大きな自負心を持っている。

しかし、維新独裁が終わった一九八〇年代に入っても、本国民衆はファッショ統治から脱け出すことができなかった。民衆の抵抗と決起によって朴政権は破滅したが、権力は依然として維新残党の手に握られており、一二・一二クーデターをひきおこした新軍部勢力は維新独裁よりさらに暴悪な軍事独裁を追求した。

全斗煥を頭目とする新軍部は、八〇年代に「五・一七戒厳令拡大措置」という暴挙をひきおこし、それに抵抗して立ちあがった光州市民を残忍に弾圧して権力をさん奪する血のクーデターを断行した。

全斗煥軍事独裁は朴正熙維新独裁をはるかに上回る暴悪なファッショ統治を行った。それに抵抗して憤然と立ちあがった数千数万人の光州市民を、銃剣で無残に殺りくする鬼畜のような蛮行をためらうことなく働いた。

殺りくがどれほどひどくて、光州市民が「全斗煥を八つ裂きにせよ」とのスローガンを叫んだことだろう。この蛮行を背後であおり承認したのは、それまで「解放軍」の仮面をかぶって自らの正体を隠していた米国だった。韓国の民主化闘争史の大きな流れである反米自主化闘争の時代は、まさにこのような光州民衆抗争を契機として始まった。

このように見たとき、八〇年代は七〇年代から続いてきた民主化闘争が、反米闘争と密接に結合して質的な発展をなしとげた輝かしい闘争の年代だと言える。

民主化闘争が真の解放のための自主化闘争へと昇華した民族民主運動発展の要求に応じて、韓民統は全斗煥軍事独裁の罪状を内外に告発、断罪する活動を多方面で展開した。われわれは光州市民の正義の闘争を積極的に支持、声援しただけでなく、新軍部の野獣のような武力弾圧で光州抗争が鎮圧された後、日本各地で光州虐殺を糾弾する大衆集会や犠牲者追悼集会を連日のように組織してデモなどを繰り広げた。

また、光州市民の英雄的な闘争の姿と戒厳軍の野獣のような殺人蛮行を録画した資料を編集し、武力鎮圧からわずか十四日後に「韓国一九八〇年―血の抗争の記録」という映画を製作し、日本だけでなく米国、欧州の民主団体に送って上映運動を世界的範囲で繰り広げ、光州での全斗煥悪党の罪状をすべて世界の人々に告発、暴露して、反全斗煥闘争の戦線を広げていった。

一九八一年五月には光州民衆抗争一周年を記念し、東京で三日間にわたって二十七か国と三つの国際機関の著名人士らがのべ一千六百余人参加して「韓国民主化支援緊急世界大会」を開き、全斗煥軍事独裁の罪状と金大中内乱陰謀事件の虚構性を再び日本と世界に知らせた。

そして再び、百万人署名運動をはじめ金大中先生を救出するための多様な運動を繰り広げた。われわれのこのような運動に呼応して、日本と世界の良心勢力も立ち上がった。

結局、全斗煥は怒とうのような国際世論の圧力に押されて、ついに金大中先生を死刑から無期へと減刑し、その後、米国と共謀して米国に出国させざるをえなくなった。

八〇年代中盤に入って、全斗煥軍事政権は内外の愛国民主勢力のし烈な抵抗によって深刻な統治危機に直面した。そして、「護憲」か「改憲」かをめぐって独裁権力と民主勢力間に 先鋭な対決が繰り広げられた。

このようななかで発生した朴鍾哲君拷問致死事件と、デモの途中に戦闘警察の催涙弾をうけて亡くなった李韓烈君のせい惨な姿はすべての国民の激しい怒りを呼びおこし、愛国学生を虐殺した全斗煥殺人政権の蛮行を糾弾し退陣を要求する大衆的な運動は、改憲闘争と結合して強力に組織展開されるようになった。

内外で嵐のように吹きあれた改憲闘争の圧力に押された全斗煥政権は、欺まん的な権謀術策を使って「四・一三護憲措置」を打ち出し、傾きかけた命運を保とうと悪あがきをした。しかし「四・一三措置」に憤激した本国民衆は、ついに六月民主大抗争を爆発させて連日、激烈な闘争を展開した。六月抗争の日々、韓民統は在日韓国人の愛国力量を総動員し、本国の民衆闘争と連携・連帯する大衆集会とデモなど、さまざまな形態の闘争を毎日のように繰り広げた。

内外同胞の激しい六月抗争は、盧泰愚をして大統領直選制改憲を基本とする「六・二九宣言」を発表せざるをえなくさせた。「六・二九宣言」は全斗煥軍事独裁の降伏を意味した。全斗煥軍事政権の破滅は韓国民衆の反独裁民主化闘争がなしとげたまた一つの大きな勝利であり、軍部独裁政権を実質的に終息させ、真の民主化時代を開く礎となった勝利でもあった。

このような情勢発展にしたがって、韓民統は海外民族民主勢力の中枢的な組織として自らの位相をはっきりと定立し、自主・民主・統一運動を一層高い次元で展開することを要求する運動発展にこたえて、八九年二月に韓統連へと発展的に改編した。これは時代と民族の召命に忠実であろうとする在日韓国人らが、大勢の流れを敏感にとらえて適時に下した歴史的な決断だった。

九〇年代は統一運動の輝かしい年代であった。九〇年代に入って、内外同胞のなかで統一の熱気が急激に高まり、統一運動が急速に拡散した。南と北、海外の七千万同胞の統一念願を高揚させるために、本国の運動団体は汎民族大会の開催を提起し、推進した。

韓統連は、海外でもこのような動きに積極的にこたえるよう求めた汎民族大会南側推進本部の提議を熱く受け止め、九〇年三月に汎民族大会日本地域推進本部を結成し、四月には欧州と米国の同胞団体と力を合わせて海外本部を発足させた。

汎民族大会を成功させるための内外の愛国統一民主勢力の積極的な努力によって、ベルリンとソウル、ピョンヤンで三回にわたって実務会談が開かれたが、その都度、盧泰愚政権の妨害策動によって南と北、海外の三者が一堂に会することができなかった。

そのような状況のもとで、韓統連など海外の統一民主運動勢力は南と北の間を連結させる懸け橋の役割を行いながら汎民族大会の準備を積極的に推進し、日本で「汎民族大会支持海外韓国同胞大会」を盛大に開いて海外同胞の統一熱気をさらに高める一方、反統一的な策動を繰り広げる盧泰愚政権を圧迫していった。

南と北、海外の統一愛国民主勢力のこのような血のにじむ努力によって、ついに光復四十五周年を迎える九〇年八月十五日、板門店で「祖国の平和と統一のための汎民族大会」が分断後、初めて盛大に開かれた。

この時、韓統連は初めて北部祖国を訪問して板門店大会に参加し、全同胞の統一熱望に合致した活動を積極的に展開して、汎民族大会の成功のために大きく貢献した。

板門店とソウルで同時に開かれた汎民族大会の一致した決議にしたがって、その年の十一月にベルリンで初めて南と北、海外代表の三者会談が行われ、その場で内外七千万同胞の統一意志を結合した「祖国統一汎民族連合」(汎民連)の結成が宣布された。汎民連の結成は、内外同胞の粘り強い統一運動がかち取ったもう一つの高貴な結実であり、わが民族の統一運動史における意義深い出来事だった。

韓統連は九〇年以後、毎年、ピョンヤンや海外の各地域で開催された汎民族大会に積極的に参加し、誠意と努力を尽くして祖国統一促進運動を粘り強く推進するのに多くの寄与をしたと自負している。

二〇〇〇年代は、和解と協力の時代を開いた六・一五南北共同宣言が宣布された歴史的な誇らしい年代である。

二〇〇〇年六月十五日にピョンヤンで開かれた南北首脳会談と、その結果として発表された六・一五南北共同宣言は、わが民族の自主的平和統一偉業に新しく明るい展望を開いた。六・一五共同宣言は、全同胞の意思と念願に完全に符合するもっとも合理的で正当な祖国統一の里程標である。六・一五共同宣言がきり開いた道にしたがって、南北間では閣僚級会談をはじめさまざまな会談が中断されることなく持続的に開かれており、政治、経済、文化など多方面にわたる接触と交流・協力が進行している。

六・一五共同宣言で限りなく鼓舞された内外同胞は、毎年六・一五と八・一五を迎えるたびに、金剛山とピョンヤン、ソウルを交互に行き来しながら統一祝祭を開き、統一熱風を力強く巻き起こしている。六・一五共同宣言に大きく鼓舞激励されたわが韓統連も、金剛山とピョンヤンで開かれる統一祝祭に積極的に参加し、できうるすべての努力を尽くすことで、祖国統一偉業を促進することに誠心誠意貢献してきた。

一方、韓国では統一運動とともに反米自主化運動も大きく活性化し、目を見張る驚くべき進展をとげた。最近、米軍による老斤里など韓国各地での住民虐殺事件の全ぼうが明らかにされ、梅香里射爆場事件や漢江劇毒物垂れ流し事件など、米軍がわが民族に筆舌に尽くしがたい被害を与えていることに憤怒した本国民衆が、反米運動に力強く立ちあがっている。

とくに昨年、本国民衆の反米自主化闘争はこれまで以上に激烈に展開された。昨年は年初からブッシュ大統領の訪問に反対する闘争が強力に展開され、六月からは二人の女子中学生れき殺事件を焦点とした反米闘争が粘り強く展開され、韓国全土が民族的義憤を意味する反米キャンドルデモで覆われた。米国の戦争脅威に反対する反戦平和運動も、りょう原の炎のように広がっている。

韓統連は反米運動でも国内の民衆と歩調をあわせながら、在日同胞に呼びかけてキャンドルデモを中心とする大衆集会と署名運動を繰り広げ、ブッシュ大統領に直接謝罪とSOFA改正、作戦指揮権返還など、平等な韓米関係を樹立せよとの声を高めた。

以上のように、韓民統から韓統連へとひき続く三十年の歴史は、民族自主と民主民権、そして平和統一のための正義の闘争の三十年であり、民族的尊厳と利益を真に擁護し固守するための愛国の三十年であった。

われわれは、韓統連がこの三十年間、あらゆる難関を克服して誠心誠意愛国のための誇らしい闘争と勝利の道を歩んできたことに、大きな矜(きょう)持と自負心を持っている。

みなさん。

韓国民衆の自主・民主・統一偉業は大きく進展したが、しかし最後の勝利にたどり着くまでにはまだ遠い道のりが残っている。とくに現在、朝鮮半島で作り出されている厳しい情勢は、だれもが一瞬たりとも油断することなく警戒心を高めて民族の安寧と統一、繁栄の未来を開いていくために積極的に貢献することを要求している。

今日、朝鮮半島で作り出されている情勢でもっとも深刻で危険なことは、米国による戦争の危機だ。世界で唯一の強大国を自任する米国は、国際舞台で一方主義的な行動を思うままに行っており、自らの気にそわない国に対しては仮借のない制裁を加え、むやみに爆弾を浴びせて侵略している。その代表的な犠牲者がまさしくイラクだ。

イラクを悪の枢軸と規定した米国は、大量破壊兵器の存在が今日までいまだに確認されないにもかかわらず、国連まで無視して、イラクに侵略戦争を断行した。

米国は北朝鮮に対しても「悪の枢軸」と規定しただけでなく、核先制攻撃の対象として朝鮮半島周辺で兵力を増強しており、「作戦計画五〇二七」をより攻撃的な「作戦計画五〇三〇」に変えるなど、朝鮮半島情勢を極度に緊張させている。とくに、米国は「北の核問題」に対して理不尽な論理と主張を繰り広げながら、北が提起した、だれが見ても公正で合理的な提案である「包括的同時行動原則」を無視したまま、「北の核脅威」だけを絶え間なく騒ぎ立てている。これは、米国が「北の核問題」を口先では平和的に解決するといいながら、実際はどのような方法を使ってでも北まで支配しようとする野心を捨てないでいることにほかならない。

朝鮮半島で戦争が起きれば、その災難は北だけに及ぶのではなく、南と北のすべてが滅んでしまう。われわれはどうしても朝鮮半島で戦争がおきるのを防いで、平和を守らなければならず、そのためには汎民族的な反戦平和運動を強力に展開しなければならない。

わが韓統連は、民族の運命がかかった朝鮮半島の平和保障のために、各界の愛国同胞とともに反戦平和運動と反米自主化運動を今後も継続して力強く繰り広げていくものである。

わが韓統連は、米国が一日も早く「北の核問題」を対話を通して平和的に解決し、韓国からすべての兵力を撤収することを強く要求する。

六・一五南北共同宣言を履行することは、民族の自主的平和統一をなしとげるための唯一の正しい道である。共同宣言を履行するうえで重要なことは、「わが民族同士」の理念を正確に具現し、政治、経済、文化などすべての分野で民族共助を実現することである。

外勢はどこまでも外勢でしかなく、わが民族の永遠なる同伴者にはなりえない。しかし、同族は理念と思想、制度が違ってもともに生きていかなければならない永遠の同伴者であり、運命共同体である。民族の安全と和合、平和統一を望む人であるならば、だれもが民族共助の道へと進まなければならない。

韓統連は民族共助を実現するうえで寄与することがあれば、どんなことでもためらわず、できるかぎりの努力を尽くし、在日同胞の中で統一運動をさらに力強く展開し、六・一五南北共同宣言を履行するために積極的に貢献するものである。

六・一五南北共同宣言を履行しようとすれば、それに逆行する行為に反対し、そのような勢力と闘わなければならない。今、ハンナラ党をはじめ右翼守旧勢力は外勢依存を追求しながら六・一五共同宣言を否定し、それに逆行する冷戦時代の旧態依然とした反民族的な行為を行っている。われわれは民族の希望と利益に反するこのような行為に反対する世論を大きく喚起しながら、それに反対し排撃する運動を積極的に繰り広げていくものである。

海外同胞において、民族性を固守することは民族構成員として継続して存在できるか、できないかにかかわる根本問題です。韓統連は在日韓国人の民族的権益を擁護するために、これからも力を注ぐものである。各本部、支部、会員団体は各地域の実情にかなった民族教育に力をそそぎ、民族性を固守していくよう積極的に努力しなければならない。とくに「ウリマル講習会」「文化教室」のような事業を各本部や支部に設けて、民族教育に力を注がなければならず、そこでは美しいウリマルがかわされ、チャンゴとプクなど民族楽器の旋律が響きわたるようにしなければならない。

韓統連は結成以来、今日までつねに民族の尊厳と利益のための愛国的な活動を行ってきた。それに背くような行為を行ったことはただの一度もない。それにもかかわらず過去の独裁政権が政権安保のために事件をねつ造して韓統連に覆いかぶせた「反国家団体」という不当な汚名は、一日も早く取り除かれなければならず、わが組織の名誉が一日も早く回復されなければならない。そして今回、われわれが無条件で故国を訪問した「開かれた門」を、どうか再び閉ざすことのないよう、心から望むものである。

これからは、売国が愛国を切りつけ、独裁が民主を絞殺し、反統一が統一を抑圧する反逆行為はなくならなければならず、愛国者が正当な評価を受ける時代へと変わらなければならない。そうなるとき、民族正気と正義にみちた美しい社会が具現されよう。

韓統連はこれまでと同様に、今後も本国民衆と運命をともにしながら、自主・民主・統一の大道にしたがって全力で闘っていくものである。

過ぎ去る歳月はとめようがなく、わたしが韓統連の議長を担って、すでに十五年になる。年齢も七十代中盤になったが、命のあるかぎり、いつまでも皆さんとともにいるであろう。

わが韓統連の自慢のひとつは、組織内にどのような派閥や宗派もないことである。団結をさらに強化しながら、勝利のその日まで力強く前進し、さらに前進していこう。われわれは必ず勝利するであろう。

在日韓国民主統一連合万歳。祖国統一万歳。

ありがとうございました。

二〇〇三年十一月二日

在日韓国民主統一連合議長・郭東儀

 


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